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差別する側・される側の気持ちとは
藤井光は、一本の映像作品を提示している。彼が取り上げようとしたのは、「福島差別」の問題。震災当時、福島の地から避難して別の土地で暮らすこととなった子どもたちが、いじめに遭うということが各地で起きたのである。
いつの時代にもかたちを変えて繰り返される差別やいじめについて、藤井は短いストーリーを持った映像で表現しようと試みる。彼が下敷きにしたのは、1960年代の米国で、黒人差別を嘆いたひとりの教師がおこなった授業。生徒たちを任意に差別する側・される側へ分けて、双方の気持ちを味わう機会をつくるというものだ。
これを藤井は「3.11後バージョン」へと書き換え、これを再演して映像に収めた。一編を見終えると、差別やいじめの生じるしくみがよく理解でき、それぞれの立場の気持ちも手にとるように伝わってくる。
見えないものへの恐怖に端を発する差別意識。これは現行のコロナ禍でまたもや繰り返されている、切実な問題だ。藤井の作品は震災後という特定の事象を扱いながら、いつの時代のどんな人の胸にも響く普遍的な作品たり得ている。
3.11から10年という節目を迎えて、いまアートに何ができるか。そんな問いへの応えが今展にはある。人の想像力を喚起して、想いを新たにする。そんな「アートの本分」を果たす作品群に、ぜひ実地に触れてみたい。
3月11日は、同展の入場は無料になるとのことだ。