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「ホトケはんをええとこへ連れてってくれはる」

 野辺送りの葬列は山間の谷を縫うようにして墓地に着いた。墓地の入口に各家のお参り用の石塔墓が建っている。日本の墓地は、お参り用墓地と埋葬だけのための埋め墓に分かれている所が多い。これを両墓制という。

南山城村のお参り墓(筆者撮影)

 先祖代々のお参り墓を横切り、坂道を登ると奥の方に草むした埋め墓があった。蓮華台の上に座棺を置くと、野辺送りの一行は奇妙な作法を行った。蓮華台の周りを時計回りに3周するのである。これを四門行道(しもんぎょうどう)という。

 四門行道は、東の発心門、南の修行門、西の菩提門、北の涅槃門の四つの門をくぐることをいう。この門を3回経めぐることで、涅槃に達し、極楽往生するとされている。

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 もっとも今では四門はなく、その意味も薄れ、村人は「ぐるぐる回っているうちに目が回って、ホトケはんをええとこへ連れてってくれはるのや」などと言っている。

 この独特の作法の後、棺は村人の持ち回り役である墓掘り人の手で埋葬される。土を土饅頭に盛ると、その上に墓標が一本立てられた。

息子のできる最後の親孝行は…

 土葬の村、南山城村では、人が亡くなるとその知らせは隣組組頭によって行われた。隣組とは近所7軒で一組が構成される。土葬・野辺送りの手伝いも、この組織を中心に編成される。

 組頭が真っ先に死の知らせを告げるのは、寺と大工だった。大工は故人の身の丈に合わせた座棺を作ってもらうためである。

南山城村で現存する土葬墓地(筆者撮影)

 遺族の仕事は、死者の寝床を納戸に移すことから始まる。枕もとに、線香、水、樒(しきみ)の一本花を立て、枕飯を炊いた。

 死者の胸元には、刀を置いた。刀は今の葬儀でもしばしば見かけるが、南山城村では鉈(なた)か鎌を置いた。猫が死人をまたぐと化け猫になると恐れられ、刃物はそれを防ぐ魔よけである。

 遺族の仕事でさらに大事なことに、故人の膝を折っておくことがあった。こうしておかないと、死後硬直が始まってからでは膝が曲がらなくなり、胡坐座りをさせ納棺することが困難になるからである。

「亡くなった親の膝を折っておくのは、息子のできる最後の親孝行と言われました」と村人は証言する。

土葬の村 (講談社現代新書)

高橋 繁行

講談社

2021年2月17日 発売

記事内で紹介できなかった写真も多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。