「四月十九日 三時半、首相を訪問せし処(ところ)は、以(意)外にも犬養が法相専任、小坂を警察担当にきめるとの事故、余は断固反対して、この際犬養を拭(馘)首(かくしゅ)すべしと論ず。殊(こと)にすでに辞表を副総理まで提出しおる際、留任さす事の不可を、その人格からして縷々(るる)説明す。然し、結局は老首相の胸中も察し、遂に此の案を呑(の)む。然し、必ずや臍(ほぞ)をかむ事あり。よつ(っ)て犬養につきては、明一日だけその成果を見て決する事にし度(た)しとのべ、辞去後、緒方氏に詳細報告する」(「日記」、原文のまま)
「国会は“開店休業”」
4月20日付朝日朝刊は、1面トップで「きょう逮捕請求か 検察会議意見一致 佐藤・池田氏」と報じ、左肩では「政府 請求延期を期待」と書いた。社会面には「国会は“開店休業”」という記事も。
読売は「検察首脳会議 方針変化なし」の1面トップ記事に「事態は政府与党の楽観論とは逆」という解説記事を添えた。別項記事では「吉田首相は事件の進展に内心意外の感を抱いているようだが」、諸法案の促進を指示。「総辞職、(内閣)改造など最後のハラを決めようとしている」と書いた。
再開された検察首脳会議は「激しい議論」(「戦後政治裁判史録」)とも、「多くの時間は黙って天井にタバコの煙を吐いていたようなもの」(「捜査」)だったともいわれる。夕方、東京地検の主張通り、収賄容疑での佐藤逮捕の方針を決定。20日夕刊でも、朝日が「検察、結論に到達 佐藤氏の『逮捕』を急ぐ」とするなど、見通しに変化はなかった。
何かが動いていた
犬養法相は日中、法務事務次官を連れて緒方副総理に面会していたが、夕方以降、再び次官、刑事局長と副総理を訪れている。会議の結果を受けて逮捕許諾請求を求めたが拒絶されたということか。副総理の日記には「『幹事長』逮捕問題にて半日ゴタゴタす」とだけ書かれている。何かが動いていた。この日の夕方、「豪雨を伴ったオドロオドロの春雷」が鳴ったと「捜査」は記している。
この日、当の佐藤も最後の詰めに必死だった。「四月二十日 緒方氏に報告せんとせし処、犬養と会談中。尚決せざる様子。誠に以外(もってのほか)故、犬養退席後、更めてその人となりを説き、此の際初志通り断乎(だんこ)一刻も早く命令を出すべき事を進言する。緒方氏もその積りの様子につき、安心して辞せし処、八時半すぎから十一時迄(まで)かゝ(か)って漸(ようや)く最終的断を見る。誠に優柔不断、残念至極。その為(ため)十時半来、松野、首相等を煩(わずら)はす」(日記、原文のまま)。佐藤は勝負に勝った。
「“佐藤逮捕”認めず」
4月21日付朝刊。朝日は「“佐藤逮捕”認めず 法相、指揮権を発動」が1面トップの見出し。記事にはこうある、
犬養法相は21日、検察庁法第14条にいう法務大臣が検事総長を指揮し得るとの規定により佐藤検事総長に対し、佐藤自由党幹事長の逮捕許諾請求を承認できない旨を文書で通達することに決定した。この強硬方針は吉田首相の意向によるもので犬養法相は20日夜、緒方副総理と協議の後、検察首脳会議が佐藤幹事長の逮捕許諾請求を正式に決定する情勢に対し、これを抑えるため第14条の指揮権を発動することとしたもので、その理由は次のようなものといわれている。法案の国会審議促進のため与党たる自由党の幹事長を今国会会期中に逮捕することは法務大臣としてこれを認めることはできない。