事実、活動休止前の嵐の海外挑戦は決して成功とは言えない結果となった。他グループでも、意欲的な全編英語曲がCDのみの収録だったり、YouTubeで公開したMVが日本国内でしか観られなかったりするケースも散見される。そうしたコントのような事態を続けているかぎり、ジャニーズが海外市場を掴むことはない。
BTSを世界的アイドルに押し上げたARMY
もうひとつは、ファンのグローバル化だ。たとえばBTSがこれほど世界的な人気となったのは、国を超えるファン・ARMYの活発な活動があったからこそだ。スマートフォンとSNSが広く浸透した2010年代後半に、小さなプロダクションだったにもかかわらずBTSの人気が爆発したのも、けっして無関係ではない。BTSメンバーが論争に巻き込まれたときも、ファンが結束して論陣を張り、さまざまな言語でみずからの主張を伝えていった。
もちろんそうしたファンの強大な力は、任意の集まりである以上、悪い方向に転ずるリスクもある。そこでファンがいかに連帯して、集団としての統制を保つかによって、アーティストの価値も問われてくる。見方を変えれば、ファンたちがアーティストのプロモーションを代行するような時代になっている。
エンタテインメントのグローバル化は止まらない
こうした日本とK-POPのアイドルの比較に対しては、「日本のアイドルにも十分良いところがある!」といった感情的な反論がしばしば寄せられる。そこで長所として挙げられるのは概してアイドルのパーソナリティであり、それがファンとしての熱い思いとして語られる。そうした個々の思いを否定する気はないが、グローバル経済や文化産業の議論に対して内閉的なサブカル島宇宙における印象批評を向けている時点で、やはり論点はずれている。
経済学的には、音楽や映像を中心とするエンタテインメントは情報財に相当する。デジタル化とインターネットは、この情報財(コンテンツ)の複製および流通コストをかぎりなく小さくした。たとえばフィルムがデジタルとなり、CDが配信となったように。
そうしたとき、コスト減によって各コンテンツの単価は下がるものの、マーケットは全世界に拡大する。しかもそれは(良し悪しはともかく)民主主義国家ではけっして避けることができない。中国や北朝鮮のように、国家レベルでインターネットを遮断するのは単なる検閲だからだ。