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「自分が被告席にいないのは奇跡」と語る支援者からの声は…

 すべてを外的な社会のせいにしてしまったら、朝鮮人としての主体を自らが放棄してしまうことになる。在日朝鮮人の側からもその主体の問題の指摘がなされていた。

 作家の金時鐘氏は裁判において金嬉老を支援し、同じ在日朝鮮人の立場から1971年12月17日の公判において「自分が金嬉老の被告席に座っていないのは奇跡に近い僥倖」と一歩間違えば、自分もそうなっていたという強い共感まで示しながら、同じ証言台から、「自分の不幸の一切が日本人によってもたらされている」というような金嬉老の考え方を厳しく批判し、「自分をこうあらしめたのは外部だけではなく、それを受動的に受けとめた自分自身にもあるんだというところまで意識がいってほしい」と述べた。さらに、「韓国の女性と獄中結婚したり、民族衣装を着るといった形式的な行為ではなく、それこそが朝鮮に行きつく行為であると思っている」とまで語っている。

 また、「公判対策委員会側も金嬉老に対して処遇については刑務所側に毅然とした態度を維持してもらいたいと願っていた」と同委員会のメンバーであった鈴木道彦氏も著書「越境の時」で書いている。

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金嬉老 ©共同通信社

腰が引けていた幹部たち

――金嬉老は拘置所に移監された直後から、官に対して要求をし出すわけですが、それを受けた幹部は公正に接するのではなく、最初から腰が引けていたのですね。

「そうです。この時の対応が本当に悪かったのです。拘置所の場合、被告人の処遇の原則は『推定無罪』ですから強い指示命令はしません。管理上は勾留の目的である証拠隠滅と逃亡の防止だけに気を使いますが、被告人の防御権の行使は最大限尊重します。

 具体的には、逃亡と自殺の防止、共犯者との分離収容、通謀や接触の取り締まり、接見禁止の決定があるものについては、面会と物のやり取りを禁止するといった制限を加えますが、いつ保釈になるか分からないし、弁護人との面会は立会いをしないので 被告人に対する処遇は受刑者とは比べものにならないくらい緩やかです。

 しかし、一旦、規則を無視して要求を飲むと、それ自体が違法行為にあたるのです。だから、『前に自分が受けた差し入れは違法行為だろ。訴えるぞ!』と脅されると、断ることができず、次々にエスカレートして物品を要求されるままに買い与えました。

 遂に、独房では物を置ききれなくなり、狭いからと、拘置所の女区雑居房の一室(12畳程度)に転房させたのです。これは、実は大変重大な違法措置です。男監と女監は分隔(ぶんかく)すること、という法律の条文があるのです。それはつまり、建物を別にしたり、高い塀で囲んで、垣間見ることさえできないように分けて収容しなさいという規定です。しかし、実際に金嬉老が収監されたのは、女監のフロアの端にある雑居房で、他の女子スペースとの交通を遮断するために前の廊下にベニヤ板で仕切りを作っただけでした。しかも居房扉は開け放して自由に出入りの出来るものでした。

 本来、こんなことは許されるはずがないのです。事実上、金嬉老は女囚の部屋に往き来が自由になった。しまいには自他の殺傷が可能な包丁やナイフ、そしてカメラなどの貴重品までが要求のままに差し入れられました」