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 ところが天皇は違った。新型コロナウイルスの感染拡大状況への懸念とともに、このまま出ていくことから象徴天皇制に与える傷への不安があったのではないか。おそらく、そうした天皇の「お気持ち」は西村宮内庁長官を通じて、政府にも伝えられたと思われる。

 それでも対応はなされなかった。だからこそ、西村長官はあえて「拝察発言」を行ったものと考えられる。それは、政府に感染拡大への対策を求めるとともに、国民に対しても天皇の「お気持ち」を表明したのではないか。これは、国政に関与することができない天皇側にとってやれる範囲での行動だったと思われる。

ギリギリの判断の先に届けられる開会宣言の「メッセージ」

 その後、政府は無観客でのオリンピック開催を決定、それを踏まえて天皇も開会式へはオンラインではなく直接出席すること、しかし皇后を伴わない単独での出席であること、皇族を含めて天皇・皇后も競技は観戦しないことなどが決定された。開会式に欠席すれば国際儀礼上の問題として浮上する。しかし、通常の大会のような出席・観戦を行うわけにもいかない。それはギリギリの判断だったと思われる。

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7月14日にはIOCバッハ会長と会談した菅首相 ©AFLO

 では、開会宣言はどのようになるのか。

 基本的には天皇が述べる開会宣言は先述したように基本的には決まっており、本人の意思が反映できるものではない。政府・オリンピック委員会が決めた文案に基づき、宮内庁との協議が行われたと思われるが、おそらくオリンピック憲章に規定された文言が述べられるだろう。ブッシュ大統領のような付け加えがあるとすれば、その後に問題となることも予想される(一方で、新型コロナウイルスという一国に留まらない世界的なパンデミックという状況からすると、言及してもソルトレークよりは問題にならないかもしれない)。

 または、「本憲章の英文と和文に差異がある場合には、英文が優先されます。」との注記を踏まえ、和訳の妙で特に「祝い(celebrating)」の文言を変更させる可能性もある。そうすると、この文言にも天皇の意思が込められ、国民に対してのメッセージとなるかもしれない。

 いずれにせよ、今回のオリンピック開会式は、通常のものとは大きく異なる性質のものになる。国際的に日本の先頭に立つことも、そして国内的に統合の象徴になることも、それぞれがこれまで天皇という立場に求められてきた最も大きなことのひとつである。

 この両方が相反し、そしてそのことから政府が目を背けるなかで、まさにギリギリの判断を迫られることになった令和皇室。これまで戦後70年かけて築き上げてきた天皇と国民とのあり方にとっても、開会宣言は象徴的なハイライトになるのかもしれない。