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「いずれ死ぬ身なのだから」

「戦局は重大な時期を迎えているが、うち続く消耗によって航空部隊の攻撃力は著しく低下している。この退勢を挽回するために、海軍では今までの爆弾よりも爆薬の大きな、必中の新兵器を開発している。しかし、この兵器は、搭乗するものは絶対に生還のできないものである。一発一艦を轟沈することはできるが、搭乗員も必ず死ななければならない。これは決死隊ではなく、必死隊である。そして、この兵器に搭乗するのは、構造上戦闘機乗りが最も適任である。

 この度、この新兵器のテストパイロットとして当隊より准士官以上1名、下士官1名を選出するように命令がきたのである。この戦を勝つためには、この兵器を一日も早く実用化させる以外に道はない……」

 舟木司令は隊員一人一人に紙片を配り、「熱望」「望」「否」のいずれかを書いて提出するよう命じた。

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 多くの搭乗員は、その場で「熱望」を提出したが、経験の多い古参搭乗員の中には、不合理なものを感じ、それを口にする者もいた。すでに日本海軍きっての撃墜王の一人であった岩本徹三飛曹長もその一人だった。

 岩本は「死んでは戦争は負けだ。我々戦闘機乗りは、どこまでも戦い抜き、敵を1機でも多く叩き落としてゆくのが任務じゃないか。1回の命中で死んでたまるか。俺は否だ」とはっきり口にしていた。しかし、このように思ったままを口に出せるのは、自他共に許すベテランのみで、多くの搭乗員は「いずれ死ぬ身なのだから」といった考えから志願したのであった。

 こうして「回天」「桜花」などの特攻兵器が生産され始め、特攻要員の訓練が組織的に行われていった。軍令部の計画では、これらの特攻兵器は10月末以降に予想された決戦に間に合うことになっていたが、桜花隊として第721航空隊が編成されたのは10月1日であり、その結果、レイテでの決戦にはついに間にあわなかった。このため急遽、大西中将はありあわせの零戦で体当たり攻撃を実施させるために、第一航空艦隊司令長官としてマニラに飛んだのであった。

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