「繊細枠」として特別扱いされたい人たち
「センシティブを自認するのは、実際のだてマスク依存者によく見られる傾向です。彼らの心の奥には『自分は弱者で、本当はスペシャルに扱われるべき存在なのだ』という思いがあり、だれかにそれを伝えたいのです。だから、私のようなカウンセリングに電話をかけてきます。
センシティブというのは特性ですから、見た目だけでは他者に伝わりません。ところが常にマスクをしていると、『この人は病気かもしれない』『なにか事情があるのだろう』など、周囲の気遣いや同情を簡単に得られる。これは、理解や承認がほしい人たちにとっては、とても甘美で、麻薬のような快感なのです。
コロナ禍の現在は、だてマスクを見分けられません。しかし、コロナ禍を超えても一部、マスクをし続ける人たちが残るでしょう。その時ようやく、だてマスク依存者の新しい姿があぶりだされるかもしれません」
マスクに依存し続けてもいい?
だてマスク依存症にはもちろんデメリットもある。代表的なのが「表情が見えないので、コミュニケーション不全を起こしがち」、「非常識、頑固な人に見える」というものだ。だてマスク依存症は治す努力をすべきものだろうか。菊本さんは首を横に振る。
「治さなくてもよいと思います。だてマスクという《心理的な壁》をつくることで、その人が外出や他者との会話などできることが増えるなら、むしろメリットのほうを評価すべきでしょう。また世間も、コロナ禍によって“いつもマスクをつけている人”を受け入れやすくなったはずです」
コロナ禍でマスクの種類は多様化した。以前は白の不織布ばかりだったが、さまざまな色や柄が登場し、“マスク生活を楽しもう”という雰囲気さえある。
マスクをつける人が一般的になり、ネックレスなどと同様のアクセサリーになれば、だてマスクという言葉自体がなくなる可能性もある。そうなったとき、人々は新たな“だて”を探し当てるのかもしれない。