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《日本の入管の“異様な実情”》無視され続けた「今すぐに助けて」の願い…死亡者が出ても変わらない“隠蔽体質”に迫る

『報道現場』より #2

2021/10/10
note

 裁判との違いを考えていただければ、入管が持つ裁量の大きさがわかると思う。裁判は、憲法と法律にのっとって開かれた場で行われ、被告には必ず弁護士が付く。一方の入管は収容期間も、仮放免や難民申請の許可不許可の判断もブラックボックスだ。だれがいつどうやって何を根拠に決めているのかわからない。にもかかわらず、人の自由を奪う。

 オーバーステイになり入管に収容されながらも、帰国を望まない人が収容を回避するにはいくつか方法がある。

 一つは、仮放免申請だ。一時的に収容を停止して釈放する制度で、収容されている人やその家族が申請し、入管側が判断する。とはいえ、仮放免では就労することもできず、また定期的に入管への出頭も求められる。再収容されることもある。

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 もう一つが難民申請だ。これも収容されている人が申請し、入管側が判断する。申請が認められれば、日本に在留する許可を得られる。就労も可能となり、出頭の義務もない。最近では、東京オリンピックでサッカーのミャンマー代表として来日したピエ・リヤン・アウンさんが難民申請して許可され、5年間の在留と就労が可能な「定住者」の在留資格が付与された。このニュースだけを見ると非常に迅速で、容易に認められるように見えるが、実態はまったく違う。

 一部の人は認定が下りず、再申請を繰り返している。その間、ずっと収容されて自由を奪われている人たちもいる。この収容の長期化が問題となっており、19年には長崎県の大村入管で、ナイジェリア人男性のオカサ・ジェラルドさんが、抗議のハンガーストライキを行い、餓死した。

 1951年に国連で難民条約が採択され、その理念に基づき、世界の国々は多くの難民を受け入れ、共生の道を探ってきた。日本は81年に批准したが、以降も受け入れに消極的だ。それは、各年度の難民受け入れ数の推移や諸外国との受け入れ人数の比較を見れば明らかだ。

 2020年、日本での難民申請者は3936人いたが、認定されたのはわずか47人、1.2%ほどだった。諸外国に比べて十分低いが、日本では例年より高かった。たとえば19年に申請した人は1万375人いるが、認定はわずか44人、0.4%しかない。

 日本政府の基本的な姿勢は、「全件収容主義」だ。期限を超えて滞在している人をまずは収容する。そして、帰国させる(送還)。グラフはそれをよく表している。

2019年における主要国と日本の難民認定人数(出典:ニッポンドットコムHP)
難民認定申請者と認定者数の推移(出典:入管庁発表資料をもとに作成)

日本社会を支えるオーバーステイの労働者たち

 皆さんの中には、オーバーステイの外国人は期限を守らず滞在しているので法律を破っているのであり、不法在留なのだから取り締まられて当たり前だ、と考える方もいるかもしれない。また言葉の響きから、犯罪予備軍のようなイメージを持たれているかもしれない。