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もはやダンジョン? 地方出身者を悩ます迷宮駅「新宿」が誕生した歴史背景とは

迷宮駅を探索する #1

2021/10/21

genre : ライフ, 社会, 歴史

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新宿駅につながる5社7路線

 新宿駅に乗り入れている私鉄は、小田急電鉄の小田原線、京王電鉄の京王線・京王新線、西武鉄道の新宿線、東京メトロ丸ノ内線、都営地下鉄新宿線・大江戸線の5社7路線だ。

 JR線に平行する形で小田急線の優等列車(特急、急行など)のホームがあり、その下層に各駅停車のホームが設置されている。京王線のホームは、小田急線の地下ホームに平行する形だ。ここまでの構造はわかりやすい。

 連絡通路も、小田急・京王とも中央通路にJRとの乗換改札があり、南通路にも小田急の乗換改札がある。いったん改札を出る形になるが、南通路から京王への乗換もでき、東西自由通路を経由しての両社線への乗換も可能だ。つまり、新南通路以外を利用すれば、スムーズな乗換が可能だ。

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西口にそびえ立つ小田急百貨店 ©iStock.com

 かつて新宿駅は、この2社の路線を利用する人を大いに悩ませる構造となっていた。小田急と京王の新宿駅はいずれも西口にあるため、繁華街である駅東側の新宿三丁目方面へ向かう人にとっては不便な構造だった。東口へ行ける実用的な自由通路がなかったのだ。

 新宿駅を東西に横断する自由通路は4本あった。北から、思い出横町と東口駅前広場を結ぶ「角筈ガード」(旧青梅街道)、丸ノ内線新宿駅の改札横を通る「メトロプロムナード」、新南通路と南通路の間を通る甲州街道、そして新南通路のさらに南に位置し、新宿サザンテラスとタカシマヤタイムズスクエアを結ぶ「イーストデッキ」だ

 角筈ガードは1927年(昭和2年)に完成した細くて暗い通路で、メトロプロムナードは地下通路で場所がわかりにくく、いずれもやや北側に寄りすぎていた。イーストデッキと甲州街道は、小田急・京王から東口へ向かうには遠い位置にあるため論外だった。そのため、小田急と京王の利用者が中央通路を経由し、JRの中央東改札から入出場きる特別な措置が長らく取られていたが、新たに東西自由通路が完成したことで終了した。現在では小田急・京王の利用者は、中央通路を利用できないことを覚えておきたい。

「地下鉄は東西」という法則に抗う都営大江戸線

 ややこしいのは、JR線の利用者は引き続き、京王線乗換口付近からの入出場が可能だということだ。中央通路には中央西改札が二つあり、階段の先にある京王線連絡口脇の中央西改札(京王口)は、JR線の利用者が使用できる。

 小田急や京王、やや離れた位置にある西武新宿線など、新宿駅の私鉄各線はJR線と同じように、南北方向にホームが設置されている。これに対して、東西方向に設置されているのが地下鉄だ。丸ノ内線は旧青梅街道、都営新宿線は甲州街道と、新宿駅が建設された当時の北限と南限に位置している。

 この「地下鉄は東西」という法則に抗うのが都営大江戸線だ。都庁前駅で環状部分が集約したことで、「新宿駅」と「新宿西口駅」という、区別が付きづらい二つの駅が誕生してしまった。新宿西口駅は旧青梅街道の北側、新宿駅は甲州街道の南側に位置している。