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2021/11/13

genre : ライフ, 歴史, , 政治

翌朝、目が覚めると……

 翌朝、さいわいにして腹は壊さなかった。帰りのフライトは午前9時15分の便なので、早朝のうちに近所を3キロくらい走っておく。島内に信号機はひとつしかなく(これも島の子どもが島外に出たときのための学習用らしい)、車もほとんど走っていないのでランニングには最適だ。

 やがて、在所を離れた沼地に掛かる月見橋までやってきた。このまままっすぐ進んで県道に合流し、左に曲がって道なりに進めば旧空港跡。すなわち、先日訪れた株式会社グレイス・ラムがある。

島内にある唯一の信号。島の子どもが島外に出たときに困らないように、実用的には意味がない信号をひとつだけ設置するのは、東京都の青ヶ島をはじめ「離島あるある」であるらしい。

「……ここに来たお客さんは2ヶ月ぶり」

 ふと、社屋内にいたおじさんを思い出した。今後も当分、あの社屋を尋ねる島外の人はほとんどいない。コロナ禍のなかでは海外旅行はもちろんのこと、国内の離島旅行ですらハードルが高いのだ──。

 と、そこまで考えてからさらに気がついた。国内客はもちろん、もともと少なかった中国人客たちの来島は、コロナ禍で完全にゼロになった。つまり、私が昨日会った江さんは、2ヶ月どころかほぼ2年近く、他の2人の大連人を除いてリアルの毎日のなかでは同胞に誰一人として会わない暮らしを送ってきた。

 彼女が話好きだったのも当然だろう。私は日本人とはいえ、江さんにとって約2年ぶりに目の前に現れた、自分の話を母語で直接伝えられる人間だったのだ。

ポーズを取る江さん。着用しているノビタのTシャツも、やはり島外で買ったのだろうか?

 インガンダルマを食べ終えた後も、もっと長いこと話を聞いてあげるべきだったのではないか。そう思ったが那覇へのフライトは2時間後である。

「いつか東京に来るときは教えてくださいね」と、島を出る前に江さんに微信を送った。この先、そんな機会があればいいのだが。

撮影=安田峰俊

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