むかしは台湾人の援農隊が年間400人……
「島にフィリピン人の奥さんは20人くらい。インドネシア人の奥さんも5~6人。あと、外国人は中国と台湾と韓国と……」
島のスーパー「与儀商店」で、たまたま見かけた外国人の女性店員に話しかけてみると、フィリピン人だった。島の男性と結婚したらしい。ほか、私が2日目の夜に泊まった「ホテルよしざと」の新垣英利子社長もこう話す。
「むかしは12月から4月までのサトウキビの収穫期に、台湾から毎年400人くらいの援農隊が来ていたんですよ。農家の敷地のなかには、そういう台湾の人たちが住む家もあって。でも、1972年の日中国交樹立(日台断交)で台湾の人が来られなくなって、かわりに韓国の人が来るようになった」
台湾や韓国の季節労働者が沖縄の最果てのサトウキビ畑に働きにきていたという、冷戦時代らしい話だ。その後、1980年代に大型収穫機ハーベスターが大規模に導入されて以前ほどは人手がいらなくなったことで、韓国からの援農隊も来なくなった。
いっぽう南大東島は、公共事業のため常に島外から工事業者らがやってくる。なので在所のなかには、村の人口規模からすればかなり多くの(10軒くらいか)スナックがある。取材時はコロナ禍でほぼ休業状態の店が多いものの、本来は意外とナイトライフが充実した島なのだ。
「10~15年前までは、島のスナックにフィリピン人のダンサーたちが20人くらい、いつもいましたねえ。フィリピンに帰国するころになると、その前に村の男の人を見つけて結婚するんです」(新垣)
現在、島内に中年のフィリピン人女性が多いのはこうした経緯からのようだ。ほか、インドネシア出身の女性たちは、最初に1人が南大東島に嫁いできたところ、彼女の紹介で故郷からこの島に新たに嫁いでくる女性が何人かあらわれるようになったらしい。
島内に住む中国人、3人
──と、島の外国人事情を追っていれば、私が気になるのは中華系の人たちの事情だ。調べてみると、まず島内にいる台湾人は1人。与儀商店のフィリピン奥さんから連絡先を教えてもらって、ご本人に電話で話を聞いたところ、40年くらい前に島に嫁いできたらしい。
いっぽう、中国人の連絡先はわからなかった……が、夜に在所の居酒屋で飲んでいたところ、なんとおかみさんが中国人だった。われながらヒキがいい。とりあえず会計時に微信(中国で普及しているチャットアプリ)のアカウントを交換し、翌日にあらためて話を聞いてみた。