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特集観る将棋、読む将棋

2021/11/12

「たっくんの勝敗はいつも気にしていて、あと何勝何敗でクラスが上がるから、こっちも勝たないとと燃えていました。お互いにそんな気持ちでいたから、まったく同じタイミングで昇級したのだと思います。僕も4年生としては出世が早いと思うけれど、たっくんは上でした」

 小4の1月、川島少年はC2、伊藤少年はB2に昇級する。ここまで来ると奨励会が近くなってくる。

両親は本人の意思を尊重することで一貫している

「たっくんとは何百局と将棋を指して感想戦をしましたし、将棋の内容についてはいろいろ話しました。でも、将来どうしたいなんて話は一度もしたことがありません」と川島さんは言う。おそらく伊藤少年が奨励会受験に向けて着々と力を付ける一方、川島少年は自分はどうしたらいいのか1人考えていた。将棋の強い子の親の中には、子どもをプロ棋士にしたいと張り切ってしまう人もいるが、川島さんの親は違った。

「僕の両親は子どもに期待したり夢を押し付けたりするようなことはまったくなく、本人の意思を尊重することで一貫していて今もそうです。奨励会に入るように勧められたことはないし、反対されたこともありません」

 川島さんは、三軒茶屋将棋倶楽部の先輩でもある4歳上の斎藤明日斗奨励会員(現四段)に三軒茶屋や蒲田で何回か平手で教わったことがある。

「もちろんこちらの負けで、明日斗さんは強いとかいう次元を超越していて、僕が知っている将棋とは違うものとさえ感じました」

2013年1月(小4)ときんの会の合宿で左・伊藤匠四段と対局する右・川島滉生さん(宮澤春彦さん提供)

 伊藤四段同様、将来有望とみられていた川島さんは、蒲田では他の奨励会員と指すなど接点が多かった。負けるたびに、奨励会員との差、そしてプロになるためにはどれだけ強くならなくてはいけないか思い知らされる。奨励会が厳しい世界で、将棋にすべてをかけなくては生き残れないということも、川島さんは感じ取っていた。

「自分は、将棋にすべてをかけることはできない」

 もう1つ川島さんを苦しめたのは、周囲の期待や見る目だった。大会であれだけの好成績を残すと、どうしても注目され期待される。たっくんと一緒にいると「早くプロになって、2人でタイトル戦を戦ってくれるといいね」という道場のお客さん同士の会話も耳に入ってくる。

「僕の将棋の世界にはたっくんしかいなくて、たっくんに勝ち、たっくんよりいい成績を残したい一心でした。でも、実際にいい成績を残すと、周りの期待はそれだけで終わらせてくれないんだなと。僕は他人の期待を過度に感じてしまうタイプなんです。だから将棋が辛くなってしまって……」

©石川啓次/文藝春秋

 レベルが上がれば上がるほど、たっくんとだけ競争していれば良いものではなくなってくる。辛くなって、将棋を楽しめなくなってきた川島少年に対して、伊藤少年はまったく変わらず将棋に打ち込んでいた。「自分は、それほど将棋が好きではないのではないか。明らかにたっくんのほうが将棋への情熱がある」。こんな風に思う。そして「自分は、将棋にすべてをかけることはできない」とも。

 川島さんは、奨励会を受けないと自分で決めた。その決意をたっくんに話したことはない。たっくんからも奨励会を今年受けると聞いたことはない。小5の夏、たっくんが奨励会に合格し、研修会を退会すると同時に、川島さんも研修会を辞めた。

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