チャンスや厚遇は「何者」に訪れがち
私が会社員だった頃、夢の叶え方を教えてくれる人は誰もいませんでした。一生懸命頑張る、くらいしか私も思いつきませんでした。
夢自体がボンヤリしていたというのもあるけれど、私は何者でもないから、高望みしたところで叶いっこないと思っていたのもある。
この「何者でもない」という言い回し、振り返ると成長の足かせにしかなりませんでした。
確かに、チャンスや厚遇は「何者」に訪れがち。けれど、何者かどうかは他者が勝手に決めることだったのです。これは知らなかったよ。自分で自分に「これなら大丈夫!」とOKを出しても、周囲は知らんぷり。そういう時は努力が足りないのかと思っていたけれど、そういうことではありませんでした。
逆も然り。自分ではまったくOKが出せないうちに、神輿に担がれ大通りに連れて行かれそうになる日もあります。私の場合、神輿に乗り続けるか、降りるかは気分で決めています。なんかやだなと思ったら即降りだぜ。
だから、「何者かになる」を目指すと道に迷うことになる。ある日ふと、ポストを開けて気づくのです。なんだか「何者」宛の郵便が増えたわねって。「何者」の表札は勝手に人から貼られるものでした。
夢があるなら、いまの自分を評価してくれる場所を
もうひとつ、10年前には知らなかった法則があります。夢を叶えようと丸腰で真正面から突進するよりも、得意なことを見つけて頭角を現せば、勝手に名が世に出て自動的に会いたい人に会え、やりたいことができ、夢が叶う。忘れちゃいけないのは、自分はなにが得意なのかも、他者が勝手に決めるということ。好きなことと得意なことは、違っていいのだ。
まさかこんな仕組みだったとは。延々と異動願いを出しながら、ついぞ希望部署に移れないままサラリーマン生活を終えた、昔の私に教えてあげたい。憧れの部署で働きたいなら、別の部署で頭角を現すという手があったって。
夢があるなら、それが荒唐無稽なほど、いまの自分を評価してくれる場所を見つけ、そこで「あなたはこれが得意ね」と言われることをやり続けたらいいと思います。努力するなら、そっちのほうが楽しい。
『ひとまず上出来』 ジェーン・スー
令和を迎えた「ネオ中年」の私たち。今までのやり方を変えたり、手放したり。恐れずに、いまの自分のちょうどいいを見つけよう。CREA連載「●●と▲▲と私」に加え、話題沸騰の推しエッセイ、楽しいお買い物についての書きおろしも収録の最新エッセイ集。