将棋界は才能に厳しい。小、中学生で奨励会に入り、原則26歳の年齢制限までに四段昇段を果たさなければ退会となる。棋士の成績上位者を見ればタイトル経験者や30歳前後までの強豪が多く、大器晩成型の実力者はまれだ。
今年3月、横山泰明七段がB級1組に昇級した。タイトルホルダーやA級経験者、登り竜の若手強豪がしのぎを削るリーグで、「鬼の住処」とも呼ばれる。横山七段のように40歳で到達したケースは珍しく、一緒に昇級したのは18歳の藤井聡太二冠(現竜王で四冠)と26歳の佐々木勇気七段だった。
横山七段は中央大学商学部に在学中、21歳でプロ入り。C級2組を参加12期目の34歳で突破してから、C級1組を2期、B級2組を4期とハイスピードで駆け上がってきた。12月26日は「SUNTORY 将棋オールスター 東西対抗戦2021」の東代表として臨む。
人柄は真面目で穏やか。迷いもなく盤上に向き合ってきた人生のように見える。だが、奨励会時代から葛藤があった。プロ断念の保険を掛けた大学進学。順位戦でチャンスを逃し続け、前夜に盤面が浮かんでは消えて眠れず、一分将棋で呼吸困難に陥るようになった体……。前編では奨励会からB級1組までの軌跡を振り返ってもらった。
昇級が止まり「プロになれないかな」と思ったこともあった
――1992年、小学6年生で小学生名人戦3位になります。準決勝からNHKで放映されるから、達成感がありましたか。
横山 準決勝で負けたので、テレビの前で大泣きしたんですよ。そのときのビデオは恥ずかしくて見たことがありません。プロになってから、同率の3位だった山崎さん(隆之八段。横山と同学年)もトイレで泣いていたと聞きました。
――当時はどういうお子さんでしたか。
横山 サッカーもやっていました。性格はすごく生意気で……(笑)。将棋がそこそこ強いから「自分がえらい」と思っちゃったんでしょう。道場で対局中に相手が指すまでテレビばっかり見ていたから、よく怒られました。
――中学1年の6級で研修会から奨励会に編入し、半年で3級。そこから昇級ペースが落ちて、初段になったのは17歳で高校3年生の7月です。三段昇段は18歳、大学1年生のときでした。
横山 普通の棋士に比べて遅いですよね。もし自分が師匠だったら、辞めさせてしまうかもしれない。時代によって違いますが、いまは奨励会の低年齢化が進んでいるので中学生のうちに初段、18歳までには三段になっていないときついです。
2級で2年間ぐらい止まり、後輩に抜かれて「プロになれないかな」と思ったこともあります。親に何回も「辞めたら」といわれましたけど、ほかにやることもなかったからダラダラと続けていました。年会費や月謝などもかかりませんでしたし。