――当時、周りの三段とそういう話をすることはあったんですか?
横山 人生の入り組んだ話をする関係じゃなかったです。ライバルですし。お酒を飲めていたら、違ったのかもしれません。
奨励会が終わった後は、3パターンなんですよ。お酒を飲む、麻雀やゲームセンターで遊ぶ、まっすぐ帰る。自分は麻雀です。みんな例会で負けたときは死にそうな顔で打ち出すんですけど、打てば元気になる(笑)。基本的には終電で帰ります。でも悪い奴らばっかりで、麻雀で負けた奴は打ちたがって終電を自分で詰ましにいくから……。あれが奨励会で唯一楽しかった。
例会終わりの17時ぐらいになると、もうプロになっている阿久津君がいつも将棋会館4階のロビーでウロウロするんですよ(笑)。まあ、彼の同世代はほとんどが奨励会員でしたから。
――いままで打ったなかで、誰の麻雀が強かったんですか。
横山 同世代は阿久津君、大平さん(武洋六段)。年が離れた棋士だと、鈴木先生(大介九段。2019年に麻雀最強戦で優勝)はめちゃくちゃ強かったです。若いときの広瀬君(章人八段)は覚え立てでかわいいから「打とうぜ」と誘っていたけど、いまは超強豪だから相手にならないでしょうね……(笑)。
僕は普通で、勝ったり負けたり。ずっとふざけながらやっているのが面白かったです。10代のときは湿っぽい話はしなかったな。どうしようもない話題ばかりでした。
「もし人生に運の総量があったとしたら、この三段リーグにほとんどを使い込んだでしょう」
――三段リーグ初参加は大学2年生の春、大学4年生の秋に5期目で四段昇段となりました。3年生で就活と迷っても、奨励会を続けたのはなぜでしょうか。
横山 3年春の3期目は途中で9勝3敗と昇級レースを走ったので、何とかなるんじゃないかなと(結果は10勝8敗で、8位)。5期目は最終日が5番手で、上がる確率が低くてあきらめていました。1局目は気軽に臨めて、勝ったら3番手になったんです。
――最終局の相手は、いまの佐藤慎一五段でした。
横山 同じ部屋で戦っていた上位のひとが無言で席を立つのを見て、恐らく自分が勝てばプロになれると思って指していました。最終盤で負けにしたかとがっかりしていたら、秒読みのなかで20手以上の詰みが見えたんです。あの絶望したなかで見えたときのうれしい気持ちは忘れられません(同時昇段は、兄弟子の藤倉勇樹五段)。
もし人生に運の総量があったとしたら、この三段リーグにほとんどを使い込んだでしょう。もし上がっていなかったら、就活をしていたかもしれません。そういったことから、すべて解放されたんです。100のうち90ぐらい使っていたとしても、悔いはありません。