すっくとした立ち姿で、人々を魅了したレッサーパンダがいたことを覚えているだろうか。
千葉市動物公園(千葉市若葉区)のオス「風太」だ。新聞やテレビで取り上げられてブームとなり、缶コーヒーのテレビCMにまで起用された。同園には、ひと目見ようと大勢の人が押しかけた。
あれから約15年がたつ。
18歳という“高齢”になり、「飼育下のレッサーパンダの平均寿命は約12年」(日本動物園水族館協会)という中にあっては、かなり長生きの方だ。
加齢による衰えは否めず、さすがに立ち姿を披露することはなくなった。右目は白内障でほぼ失明状態とみられ、今年は園内の動物病院に入院するほどの病気もした。それでも、かくしゃくとして過ごしており、「頑張って生きている姿に胸を打たれます」(60代の女性)などと生きざまに励まされる来園者もいる。
若き日はアイドル。老境にあっては「高齢社会の星」。老いたりといえども、やっぱり風太はスターなのだ。
“風太くんブーム”への戸惑い
風太は2003年7月5日、静岡市の同市立日本平(にほんだいら)動物園で生まれた。千葉市動物公園へ移ったのは、約9カ月後の04年3月末だ。レッサーパンダに繁殖能力が備わって、大人の仲間入りをするのは生後約18カ月といい、当時の風太は人間で言えば中学生ぐらいの年頃だった。
翌05年度から2年間、飼育係としてレッサーパンダを担当した千葉茂さん(53)は「とても、やんちゃでした。活発に動き回って、ジャンプ力もすごかったですね」と振り返る。
担当になって間もない同年5月、新聞が「立てるんです」という見出しで風太を取り上げた。
「レッサーパンダが立つのは珍しいことではありません。私達にとっては通常の光景でした」と千葉さんは話す。だが、この報道がきっかけとなり、多くのメディアが取り上げた。「なぜ、このような騒ぎになるのか」。千葉さんらの戸惑いをよそに、ブームはどんどん過熱した。
「屋外の放飼場の周囲には幾重もの人だかりができ、飼育係が外から風太の様子を観察しようにも、見ることさえかないませんでした。来園者が歓声を上げるのを聞いて、『ああ、風太が立ったんだな』と知るような状態でした」と、千葉さんは苦笑する。
「人の多さに疲れてしまわないか」。そう心配した千葉さんは、正午からの1時間を風太の“昼休み”にした。屋内の寝室に入れて、そっとしておいたのだ。午後1時になると、また放飼場に出した。「夜、寝室に入れてからも、あまり関わらないようにして、そーっと見守っていました」と語る。
なぜ風太は立ち上がっていた?
それにしても、なぜ風太は人の心を捉えたのだろう。
「確かにきれいな立ち姿でした。胸を張るようにしていましたから」と、千葉さんは話す。
千葉さんの後任で、07年から12年間担当した濱田昌平(はまだ・まさひら)さん(59)は、風太の性格やその頃の放飼場の構造に秘密があったと考えている。