結婚、30歳を過ぎの転職、そして「学び続けること」
どうにもならなくなるのは、結婚と、30歳を過ぎてからの転職、そして大学院進学だと思うんですよ。自分が生き物であると認識して、子孫を残したい、子供を儲けたいというのも大きいだろうし、好きな女性と巡り合って生涯の愛を誓えるかどうかは、ベルトコンベアーの先にはありません。自分から手を伸ばして異性と巡り合い、手を取り合って結婚の扉を開きにいかなければならない。
また、30代になれば社会の構造もなんとなく分かってきて、いまのまま働いていていいのか、この賃金でやっていって大丈夫かという疑問が湧く人も増えてくる。転職も35歳以上になるとステップアップもむつかしいぞとなって、同業他社や新しい業界に飛び込むのもラストチャンスとばかりに転職を決断する人も出てきます。
他方、大学院で学ぶというのは、明確な利益があったり、興味があってどうしてもそれを体系的に学びたいという動機がないと、なかなか一歩を踏み出すことができません。社会人大学院は特に、働き手としてのキャリアを中断し、会社が負担してくれないならば自分の身銭を切って大学の門を叩き学びにいく必要があります。
カネになる学問・ならない学問
身の回りに医師や弁護士、技術者が多く、彼らをして「単に日常的な仕事で得られる知識には限界があるから」とダブルライセンスを取りにきたり、さらに専門性を磨くために大学院で学んでいる人も少なくなく、頭が下がります。
日本社会はそういう「一生をかけて学び続ける」ことの大事さ、それを讃える社会にしていかないといけないよね、という理想は私も共感します。お前ら興味本位でもいいから大学行って学ぼうぜ。
ただ、冒頭の調査レポートのように、現実は厳しい。端的に言えば、カネになる学問とそうでない学問があります。建前では学問に貴賎はない、どの分野も立派な学識を養えるのだと言われますが、払うお金や使う時間を考えれば、やっぱり就職や転職のようなキャリアにつながる学問で博士号を取得したほうが良いと判断されるのは当然かもしれません。
また、年齢を重ねてからの大学院は、私もそうですが「じゃあ、その知識を使って何年現役でいられるんだ」となりますし、何より「学んで終わりではなく、その分野の事情について生涯かけてアップデートさせていかないと学んだ意味がない」という、その学問分野へのコミットもすることになります。金にならない学問でそこまでやるのは大変だ。
とりわけ人文系で、文学や政治学、民俗学、比較文化、法律の中でも憲法学といったジャンルは、学問としてかなり奥深く興味深い分野であるにもかかわらず、その難解さや面白さに見合った仕事がないのが現実です。それなら英会話学校に通って、字幕なしで映画観られるほうがまだ生産性が高いんじゃないかって思うようなことすらある。