4年前の平昌五輪、日本代表のロコ・ソラーレが銅メダルを獲得した瞬間、「あ!」と驚きと喜びがないまぜになった声がテレビに入った。覚えている方も多いだろう。

 声の主は石崎琴美(43)。前回は解説者として会場の江陵カーリングセンターの放送ブースに、今回は日本代表のフィフスとしてコーチボックスに座っている、ハイブリッドなタレントだ。この4年で多方面からもっとも需要があった人物という意味では、藤澤五月や本橋麻里をしのぐかもしれない。

 今大会、フィフスの石崎の仕事は多い。選手のケアはもちろん、ハーフタイムの補食の準備、場合によっては他国のコーチや選手、関係者などと話して情報を得たりもする。詳細は後述するが、ストーンチェックも毎晩しないといけない。一方で選手に万が一のトラブルがあった場合、いつでもアイスに乗れるように体調管理をしなくてはいけない。そんな多岐に渡ってサポートこなす石崎とロコ・ソラーレとの関わりを紐解くと、話は少しさかのぼる。

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チーム青森の選手から解説者へ、そしてロコ・ソラーレに帯同

 石崎は2002年ソルトレイク大会にフィフスとして、2010年バンクーバー大会はリードとして、五輪に出場しているが、2013年の日本選手権にチーム青森のメンバーとして出場して以来、競技としてのカーリングに一度区切りをつけている。その一方でコメンテーターや解説者としての活動がはじまった。

 日本選手権やソチ五輪、世界選手権といった大きな大会では解説者としてカーリングの普及に努めた。その中で当時、バンクーバー五輪のチームメイトであった本橋麻里が創設したロコ・ソラーレについては「麻里らしい、カーリングを楽しむチームを作ってきた」とコメントしていた。

日本代表のコーチボックス。左から小野寺コーチ、石崎琴美、ナショナルコーチのJDリンド ©JMPA

 ロコ・ソラーレとの本格的な関係は2015年からだ。藤澤が加入した直後にロコ・ソラーレは日本代表決定トライアルに勝利。チームとして初の日本代表となるのだが、ちょうど本橋麻里が第一子の妊娠、出産の時期だったため、同年のパシフィック・アジア選手権(カザフスタン・アルマトイ)にスポット的に石崎が帯同することになった。

「大会中ずっとゆったり構えていてくれて、ストーンチェックなどもしっかりこなしてくれた。何よりも当時から選手との距離感が絶妙だった」

 小野寺亮二コーチがアルマトイでの戦いを振り返ってくれたことがあるが、万事が忘れっぽい小野寺コーチが鮮明に覚えているということから、石崎の貢献度の高さがうかがえる。そのパシフィック・アジア選手権でチームとして初優勝。日本代表としても10年ぶりのアジア制覇だった。

 さらにロコ・ソラーレはそのシーズン、2016年の日本選手権でも初優勝。チーム初出場となった同年の世界選手権では準優勝を果たし、日本カーリング史上初の世界大会でのメダル獲得という快挙を達成する。

ロコ・ソラーレ快進撃の裏には、石崎の4人への献身的なサポートがあった ©JMPA

 石崎はその活躍を解説者として見守った。冒頭でも紹介したとおり、ロコ・ソラーレが躍動して大きな話題となった2018年の平昌五輪には解説者として現地入り。「仕事ではあるけれど、試合がたくさん観られる」と解説のないカードでも会場に日参し、彼女にとっての“役得”を満喫していた。