『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学』(磯野真穂 著)集英社新書

「健康でいるためにこんな風に食べましょう」「この技術を使えば長生きできる」という倫理が止まらなくなると、私たちの宿命である「人は病気になるし、人は死ぬ」ことと衝突する――。

 医療現場で長年フィールドワークを行ってきた、人類学者の磯野真穂さん。現代を生きる人間のあり方を問う『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学』は2部構成となっている。

「第1部は、脳梗塞などを例にとり、単なる計算結果でしかない病気のリスクが、わかりやすいイメージやレトリックを経由して実体化し、かつ専門家の言葉や数値がなければ身動きが取れなくなることの不気味さを描きました。たとえば新型コロナウイルスのリスクは数字だけでは提示されません。海外の凄惨な映像や、芸能人の死といったショッキングな出来事とともに報道され、リスクの実感が醸成されました。結果、『無症状でも油断するな』というように自分の身体感覚を当てにすることが咎められたわけです」

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 第2部では、「自分らしさ」といった、一見美しい救済の言葉の陥穽を指摘する。終章では「他者と生きることとは、どういうことか」という問いの答えを探っていく。

 磯野さんは、病気や死をめぐり、本人と周囲との間で行き違いが起こるのは、人とはどんな存在であるかという〈人間観〉の錯綜があるからだと捉えている。

「今の社会に共有されている人間観は3つあります。1つは、集団の傾向を数値で測ることで、生命の存続を管理できるという〈統計学的人間観〉。2つめは、身体という殻の中に個々のかけがえのなさが埋まっているという〈個人主義的人間観〉です。この2つが結びつくことで、『「かけがえのない命」は生物的な命を存続させることで守られる』という倫理が立ち上がってくるのです」

磯野真穂さん

 他方、磯野さんが重視するのは、3つめの〈関係論的人間観〉だ。「他者と関係性を持つことで、初めて人間が生ずると考える」見方だという。

「たとえば現代社会の生き死にをめぐる倫理の一つに長命の賞賛があります。かつては70まで生きれば大往生でしたが、今では『早すぎる死』となりました。これは一見〈正しい〉ことだから、反対しにくい。ただ、現実として病気や事故で、若くして亡くなる方はいる。その時に、〈でも〉その人の人生は深みがあった、と言われたりしますが、そこには〈長くは生きられなかったけど〉という前提が置かれています。人生は長さが一番、深さや厚みはそれに代替するものとしての二番手感がある。これは時間の捉え方が一つしかないからです。しかし実際には、5歳まで生きた人が、80歳まで生きた人よりも長く生きた、という場合もあるんじゃないか、と私は思います。その場合の時間とは、他者との出会いや偶然性の中で生成される時間です」

 こうした人間観は、2019年に早逝した哲学者・宮野真生子氏からもインスピレーションを受けている。

「宮野さんとの書簡をまとめた共著『急に具合が悪くなる』の中で、彼女が、時間を引き出す、という言い方をしているんです。私と彼女が出会ったのは“たまたま”ですが、その偶然性を積極的に引き受けることによって、〈この私〉を含む〈私たち〉が生じ、必然ではなかった時間が生成され、変化する。その時、時間の進み方は直線ではなく、曲線を描く。それを引き伸ばしてみると、等速の時計の時間とは異なる、長い時間が生じているのではないか、と考えています」

いそのまほ/人類学者。専門は文化人類学、医療人類学。2010年早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。国際医療福祉大学大学院准教授等を経て、20年より独立。著書に『なぜふつうに食べられないのか』『ダイエット幻想』など。