日米安保は「日本の核保有への抑止力」
加えて日米安保は日米それぞれの国情の変化と、アメリカの世界戦略政略の後退によってますます齟齬を来す状態になって来ている。
自動継続に関して佐藤総理は、条約の一言一句をも変えないとはいったが、条文は不変でも、実質的内容の変化と、同時に、条約の規制力への相互の期待と解釈の食い違いがますます大きなギャップを生じて来る可能性は顕かに在る。
昨年11月の日米共同声明の極東事項にしろ、アメリカ政府の在韓米軍の撤退計画とからめて、日米安保を芯にした日米関係を通じ、日本に対するアメリカ側の期待と、日本の反応は、今後ますますギャップを生じ、それが日米関係を徒らに悪化させる要因ともなりかねない。安保を現行のままで継続することは互いに新しい不満を生み、実は双方にとっての危険を増すことにもなり得る。
日本側が、核戦略における安保の効用を一方的に盲信し、あまつさえ盲信の尻馬に乗って非核3原則などという、安保を芯にした防衛構想自体にも矛盾しかねないことをいい出してしまった現段階で、そうした日本側の態度がもたらすものは、実質的に安保を評価していないソヴィエトや、新しい核戦略で世界政略に臨もうとしている中国を有利にするものでしかない。
日本の軍事的強化を怖れるライシャワー等、ハーバード系の一部の米国識者も、現行の安保が、日本の核保有への抑止力として働いているという形でこれを評価しているが、前述のように、中共の核兵器技術の急ピッチな進展によって、アメリカの核の傘の抑止力の軽減を認めるキッシンジャー、オズグッド、或いはホフマンのような、現政権に繋がる戦略専門家は、アメリカの友好国圏内に核が拡散する方が、核散防による過去の冷戦的世界秩序の維持よりもアメリカの安全の利益に繋がり得るという考え方を持つに到っているようだ。
「日本の核戦略」を考え直す時
隣接する中国が、ソヴィエトに対抗して独自の共産主義的世界政略に意欲を見せ、その推進のバックアップとして核兵器を開発し、英仏をしのぐ核保有国となりつつある現在、他人に指されて教えられるまでもなく、我々は、ここで改めて、我々自身のイニシャチブにおける日本の核戦略について考え直す時期に来ているのではないか。
それは当然、日本の核保有を含めて考えられなくてはなるまい。現在いかに、つくらず、持たず、持ち込まず、という下手な語呂合わせのような核兵器に関する三原則があろうとも、我々は、可にしろ否にしろ、この問題に正面から取り組む努力を避けて通る訳にはいかない。