気力はあっても、筆が持てなくなることも…
自分が描かなければ、患者さんたちが存在していたことは誰にも知られず、この世にいなかったことになるかもしれない――。その言葉で一気に解放された卯月さんは、メールの文章を紙に書き、壁に貼って執筆したという。
加えて、自身の一人息子から「お母さんのことみたい」とLINEで送られてきた曲も、筆を加速させた。人気バンド、マキシマム・ザ・ホルモンの『鬱くしき人々のうた』だ。精神疾患を抱える人のリアル過ぎる感情の揺れ動きが歌われ、「ボク死にたがりで生きたがりです」と締めくくられる。まさに、「自分のことのようだった」と感じたという。
「何度も何度も曲を聴いて、ラストまでぶっ通しでネームを描きました。そうすると、頭のなかにいた登場人物たちが、急に生き生きと動き出した感じでした。当時、確実に病棟にいて過ごしていたはずの患者さん一人ひとり――。彼ら、彼女らと接していたときの感覚や目線に戻って、追体験しながら描いていきました」
だが気力は満ちていても、症状は容赦なくやってくる。時には筆が持てなくなるほど憔悴することもあったという。
執念で世に出した『鬱くしき人々のうた』
病院では、統合失調症の影響から「脳が萎縮している」と診断された。そのため、ペン入れのためにはしっかりタンパク質とビタミンを取り、症状を緩和する脳内物質であるセロトニンを分泌させるため日光を浴びた。さらに毎日4時間のウォーキングやヨガをこなし、半年以上経ったころにようやく症状は落ち着いた。
夫のボビーさんも、進捗を管理する行程表を作り、描き上げたばかりの原稿を見て励ましてくれた。徹夜で取り組んでいるときは、友人たちが一緒に起きてLINE で元気づけてくれた。
重度な基礎疾患があり、高齢でもあるボビーさんは、卯月さんの作品執筆中に心不全で倒れ、入院したという。だが当人からは、「『実録・閉鎖病棟』だけは頑張れ! 俺はもう大丈夫だ!」と言われ、執筆に集中できた。そして、ようやく作品は完成した。刊行後、「この本が出ることを待っていた」といった声が続々と寄せられた。