これをロボットと呼ぶのかどうかは人によって意見が分かれそうな気もするが、活用次第でロボットは人の体の“常識”を打ち破ることもある、というわけだ。そうなると、人の体はどこまでが人の体なのか、という哲学的なテーマに直面せざるを得ない、ということなのだ。
また、操縦者の手の力加減をロボットが再現してくれる「零式人機」は、高所や高圧線の近くでの作業の多い鉄道インフラの保守現場での活躍が期待されるとか。
「操縦者の思い通りにロボットが動いてくれるので、直感的に操作できるのが大きなメリット。産業用ロボットではどうしても操縦が難しいというイメージがありますが、『零式人機』ならば誰でもすぐに操縦を覚えることができます。これもまた、体の拡張の一種と言っていいと思います」(宮田さん)
“やきもちをやくロボ”、”ゴミの前まで行って震えているだけの“強くない”ロボ…
人の体とロボットの関係を見つめたら、次のゾーンでは「こころって、なんだ?」。さらに深い問いを投げかけてくる。これはまた難しそうな……と思ったら、このゾーンには子どもたちが二重三重にロボットを取り囲んで和気藹々。なんだか楽しそうな雰囲気だ。
子どもたちの輪の中を見てみると、そこにいるのは家庭用ロボットとして知名度が高まっているLOVOTだ。人の心に寄り添うペットタイプのロボットで、“やきもちをやく”という人間的な側面を持っているのも特徴のひとつ。接する人との関係を築いていく中で、唯一無二の個性を持った存在になっていくのだ。それはもう、ロボットなのかイヌやネコのようなペットなのか、もはや境目は曖昧だ。
「ロボットというと人間ができないようなことをしてくれる存在だと思われていますが、最近ではあえて“強くない”ロボットを開発する研究も進んでいます。ゴミ箱の形をしていて動くことはできるが自分でゴミを拾うことはできず、『モコ』と声を発して人がゴミを拾ってくれるのを待つだけ、とか。人とロボットの接し方を考えていくきっかけになるのではないかと思っています」(宮田さん)
ロボットが暮らしの中に入っていくためには、受け入れられやすさが大事になってくる。そのために見た目のかわいさを追求したり、触ったときの質感に工夫をこらしたり、さまざまなアプローチが試みられているという。そのひとつが、あえて“強くない”ロボットにするというものなのだ。