5月11日未明に急逝した、お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵(享年61)。かつて同じ事務所に所属していた、同学年のタレント・山田邦子(61)が「週刊文春」に、上島との思い出と現在の胸中を明かした。

 山田は1960年東京都生まれ。1980年に芸能活動を開始。「オレたちひょうきん族」「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」などでお茶の間の人気者となり、数多くの冠番組を持つ。2007年乳がんに罹患し、厚生労働省「がんに関する普及啓発懇談会」メンバーとなった。2020年にはYouTube「山田邦子 クニチャンネル」を開設している。

芸風とは裏腹に繊細だった

「熱湯風呂」は竜ちゃんがいなければ成り立たない

――山田さんと上島さんは、かつて同じ事務所に所属し、学年も同じです。

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 私は芸歴が42年目くらいなんですけど、ダチョウ俱楽部も40年くらい。ただ、私の方が先に売れたんですよね。私の方が先に売れたから、なんかお姉さんっぽいんだけど。寺門や肥後ちゃんは1歳か2歳くらい下で、竜ちゃんは同い年。だからといってベタベタするわけじゃなくて、今は「おはよう」とか「元気?」とか、会えば軽い挨拶をするような感じでした。

取材に応じた山田邦子

――たけしさんがフライデー事件(1986年)で不在になった時、山田さんが「スーパーJOCKEY」のMCを務めました。

 たけしさんが急にいなくなったので、私がピンチヒッターになったんですね。「熱湯風呂」に入るところとかは、竜ちゃんがいなければ成り立たない。お風呂の温度とか、飛び出してきた時の床がどれくらい滑るのかとか、そういう本番前の準備を一生懸命やってましたよ。「熱湯風呂」は5分とか10分とか短いコーナーなんだけど、そこに集中して一生懸命やってましたね。