みなさまのお悩みに、脳科学者の中野信子さんがお答えする連載「あなたのお悩み、脳が解決できるかも?」。今回は、いま世界中の人々が直面する「ヒトはなぜ戦争をやめられないのか」という難題に、中野さんが脳科学の観点から回答します。
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Q 「戦争」をするか、「平和」でいるか。損得を考えれば、得なのは後者。ではなぜ、ヒトは戦争をやめられないの?
これは私たちヒトの一大テーマですね。「平和」のほうがみんなが得をするに決まっている。穀物もエネルギーも安定的に供給され、移動の安全も確保され、今のようにロシアの上空を飛行できないなんてこともない。国境のセキュリティは緩和できるし、出入国も簡単になる──。それなのになぜ?
この平和を成り立たせているのは、国家間でも個人間でも、利害の異なる者同士が「お互いに相手を信頼(することに)している」という前提です。
「疑う」ことは、「信頼する」よりコストがかかるし、脳に負荷がかかります。もし夫が家に帰ってくるたびに頭の天辺からつま先までセキュリティスキャンしなければいけないとなれば、一緒に住み続けられないですよね。「自分に害意を持たない」と信じることのできる仲間を持つ。それこそが家族でいるメリットです。
しかし、夫婦どちらかに「自分の利益を優先したい」という思いが生まれることがあります。たとえば、夫が「妻の利益は本来は自分のものである。パワーバランスの現状変更をしたほうが得だ」と考え行動に移したら、妻はまるく収まるならここは従っておこうと当初は思うかもしれません。
しかしこれが長期にわたると、「自分があまりに損をしている。これは経済的DVだ」と認識し、夫に害意を持つようになる。かくして戦闘状態が始まります。
夫婦を例に挙げましたが、戦争もまた、どちらかに目先の得を優先させる行動が生じたときに起こると考えられます。
とはいえ「目先の得=短期的に判断する」仕組みは、人類にとって完全に不要なものでもなく、必要だから備わっているのです。飢饉、水害、地震などの被害を逃れて自らの生命を守るため、「短期的な得」を選ぶ必要がある場合があるからです。
パンデミックもそうでしょう。新型コロナパンデミックでは、各国が海外からの渡航の受け入れを禁止し、ワクチンの確保に奔走し、自国の得を優先する事態になりました。
こうした選択の重率の変化は、主として「長期的な視座の欠如」によって起こります。歴史的には「宗教」と「学問」が長期的視座を養う役割を担ってきました。しかし、現在、宗教はその権威を失いつつあり、学問も短期で成果が出ない研究は評価されない社会になってしまいました。