松尾容疑者が妹夫婦に伝えた“願望”
一方で松尾容疑者は長年、1人暮らしを続けていた。
「彼は地元の中学校を卒業後、神戸市内の寝装品の製造会社に就職する傍ら、夜間学校に通っていました。その後、大阪市内の会社に勤務。独り身やった」(知人)
06年9月、松尾容疑者らきょうだいの父が死去すると、長男の松尾容疑者は実家の土地を相続。約1年前に妹夫婦が暮らす実家に出戻った。仕事はしておらず、家にこもりっきりだったという。
火災翌日の朝6時半頃、夫婦は友人に対し、松尾容疑者と住むようになった経緯をこう明かしていた。
「毛布にくるまれた両親は、捜査員たちの活動を見ながら簡易椅子に座って、コーヒーをすすって暖をとっていました。息子たちを案じて真っ青になった旦那さんは、松尾容疑者について『コロナ禍で仕事もなくなり、体調も悪いというので、大阪から連れて帰ってきたんや』なんて言うてました」
間もなく奇妙な共同生活は破綻を迎える。松尾容疑者は妹夫婦に対して、こう“願望”を口にするようになったのだ。
「財産も金も譲る。この土地も譲るから、生活保護を受けて生きていきたい」
だが、家は松尾容疑者のものだ。財産があれば当然、生活保護は受けられない――。
焼け落ちた家から失踪した松尾容疑者は、心に何を抱えていたのか。残された夫婦は、悔恨の念にかられていると、前出の友人が語る。
「旦那さんは長年セールスの仕事をしていたが、今年6月に高血圧で働けなくなった。2カ月間の有給休暇も使い、『今は失業保険で生活しているんや』と言っていた。それで奥さんは『自分が働かないといけないんや』となり、あの日も遅くまで勤務していた」
火災当日、スーパーで働く母は午後4時~深夜12時まで仕事が入っていた。父はこう悔いていたという。
「夜11時半に家を出た。たまたま迎えに行くことになっとってん……」
アンパンマンに囲まれた息子の写真をFacebookにアップした母は〈生まれてきてくれて、ありがとう〉という言葉を添えた。子供たちの笑い声が消えた家は灰燼と化し、煤の臭いだけが漂っていた。