《やっぱり明らかな力の不均衡がある場合には、弱い側の声をより大きく取り上げるべきじゃないのかということです。このへんが偏向だと言われるんでしょうけど、力の不均衡がある以上は弱者、弱いものに肩入れする、弱いものの声を代弁することこそメディアの責任というか、あるべき姿だというふうに思っています》
「明らかな力の不均衡」「弱いものの声を代弁する」「メディアの責任」という3つのフレーズがジャーナリズムそのものを指していると斉加氏は書く。
沖縄タイムス・阿部記者の主張
「中立」に関しては阿部岳記者も『フェンスとバリケード』(三浦英之氏との共著、朝日新聞出版)に書いていた。阿部記者は2017年に神奈川新聞の編集委員の言動に大きな影響を受けたという。ヘイトスピーチに対して「中立報道」をしていなかったからだ。
「高みの見物をやめ、当事者として、『私』として、差別を根絶やしにする立場を鮮明にして書く」と言われたことが心に染みたという。「結果を求めて書く」覚悟を教えてもらったと書いている。
《差別する側と差別される側のちょうど中間点を探して位置取りを決めるような振る舞いは中立ではなく、差別への加担であった。》(同前)
これらの本を読んでいると「中間中立で報道しているという気は確かにない」と阿部記者が発言する意味がわかる。そのスクショを失言のように貼られても「だからどうした」なのだろう。実際に最近のツイートでは「人権を守り、差別を許さないために報道している。ごく当たり前の職責だと思いますね。」と“返信”していた。
ひろゆき氏の問題発言
“差別を根絶やしにする立場を鮮明にして書く”という点では「沖縄タイムス」「琉球新報」が大きく報道していたのがこれだ。
『ひろゆきさん「沖縄の人って文法通りしゃべれない」 配信動画の発言、また物議』(琉球新報10月12日)
『ひろゆき氏「沖縄の人って文法通りしゃべれない」 県民の“日本語”めぐり発言』(沖縄タイムス10月12日)
《辺野古新基地建設に対する抗議行動をやゆしているインターネット掲示板「2ちゃんねる」開設者のひろゆき(西村博之)氏が、自らのユーチューブ配信で「沖縄の人って文法通りしゃべれない」「きれいな日本語にならない人の方が多い」などとヘイトスピーチをしていたことが分かった。沖縄キリスト教学院大学の新垣誠教授(国際人権論)は「非常に危険だ。日本軍は『標準語』ではない沖縄の言葉を話す住民を虐殺した」と批判した。》(沖縄タイムス)