「第18回オリンピック」の開会式が東京で挙行されたのは、敗戦から19年後の1964年10月10日。快晴だった。チーム発足五年のブルーインパルスはその日の午後、国立競技場上空に五色の輪を描いた。五輪史上初の衛星中継により世界中が見つめるなか、それは経済的な復興を遂げ、永遠の平和を希求する独立国家として、主権を脅かす勢力には屈しない断固たる決意を内外に宣言する、まさしく狼煙だった。
以来、ブルーインパルスは空自のみならず国民にとって、ただ空自パイロットの技量を展示するだけではない特別な存在となった。
「ブルーインパルスの政治利用」はあってはならない
丸茂の弁は、つまりそのような歴史的背景をもつブルーインパルスを政治の人気取りに利用されることなどあってはならないという強い思いだ。ことに豪快で目の覚めるアクロバット飛行は政治家の集票活動にはうってつけだ。事実、あの手この手で政治家によるブルーインパルスのフライト誘致が試みられる。飛行条件に合致するケースもなかにはあり、空自ではこれを「マル政案件」と称し、他と区別して慎重に扱っている。
したがってブルーインパルスが飛ぶには、空自基地祭のような通常の広報活動を除き、国家規模のイベントや自治体レベルの祭典などの大義が必要だ。まして特定の政治勢力に与しないことは、「自衛官の服務規程」にあるように当然のこと。かつてF−15戦闘機を駆り、長らく防空任務に就いてきた丸茂である。ひとりの飛行機乗りとして、また武人として、政治との距離には留意してきた。
このとき、河野防衛大臣がブルーインパルスの飛行を依頼するまでに、どのような経緯があったか丸茂は知らない。だが少なくとも首相官邸や、特定の政治家が直接空自に働きかけてきたことはないし、正当な理由なしに空幕長である自分が飛行を命令することなどない。
「河野大臣にお答えするまで、ブルーインパルス本来の趣旨と今回のフライトの整合性についてスタッフとずいぶん話し合いました。やはり自衛隊の広報部隊であるブルーインパルスは政治にそぐわないし、国民からそんなふうに見られるのはブルーにとっても、私たち自衛官にとっても不幸なことですよ」(丸茂)
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