ダンサー・振付家の辻本知彦さんの初の著書『生きてりゃ踊るだろ』の刊行を記念して、長年セッションを重ねてきた俳優・ダンサーの森山未來さんとの対談を行った。盟友同士だからこそ明かせる、ドン・キホーテ事件から、代々木公園野宿時代まで――。

 

「すごくませてる子で、つねに大人の都合への反発心が根っこにあった」

森山 トモさんとは、2008年のミュージカル『RENT』で振付してくれた時に出会っているから、もうかれこれ14年の付き合いになりますね。2010年からは、ユニット「きゅうかくうしお」を一緒にやってきているから、もうずいぶん言葉を交わしてきました。今度の本も一気に読めましたよ、ほとんど知ってることだったから(笑)。

辻本 「知らないことがあったよ」と言ってほしかったのに!

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森山 あ、幼少期のことは知らなかったです(笑)。エンターテイメントの現場から舞踏まで、気の赴くままに横断して身体を見つめてきたのは、幼少期の記憶からつながっているんだと発見しました。

辻本 子ども時代の話をすると、僕、落書きをしながら先生の話を聞くのが好きだったんですよ。ラジオを聞きながら工作をするとか、2つのことを同時にするのが好きで。たとえば授業でふんぞり返って絵を描いていても、脳ではちゃんと先生の話を全部聞いてる。

 でもやっぱり先生からは見た目で判断されてしまって、「姿勢を正しましょう」と言われてしまうんですね。

森山 「前へならえ」や「体育座り」も嫌でした?

辻本 そう。そんなのは大人が管理しやすいようにしているだけだし、心のない儀礼的な挨拶とかもすごく嫌いで。すごくませてる子で、つねに大人の都合への反発心が根っこにあったかな。

森山 例えば、ラジオ体操やスウェーデン式体操って、明治政府が発足してから諸外国から取り入れた動きで、要は近代的な軍隊を作るために、集団的に体を管理しやすい方法を教育現場でも刷り込んでいったわけですよね。

 逆にもともとの日本はどうだったかといえば、江戸時代の人たちの集団行動は結構バラバラなんですよね。お祭りの踊りもみんな自由にバラバラに踊っている。だから「日本人は集団できちんと動くのが好き」という捉え方は、どのあたりから来たんだろうって時々考えます。