文春オンライン

“明るい廃墟”と呼ばれたピエリ守山が一大V字回復をしている話〈当時のテナント店員が語る“あの頃と回復”〉

2023/01/19
note

 最寄り駅から無料シャトルバスを利用しなければたどり着くことができないが、車社会の滋賀県において、さして駅が遠いことはデメリットにはならないだろう。

 施設近くの駐車場はほぼ満車状態だった。仕方なく遠く離れた駐車場にレンタカーを停めて、ピエリ守山に入る。モール内は「明るい廃墟」と言われていたのが嘘のような賑わいだった。家族連れや若いカップルが楽しそうにショッピングを楽しんでいる。

 フロアガイドに目をやると、H&M、GAP、ZARAと、有名アパレルブランドの店舗が名を連ねていた。温浴施設も併設しており、琵琶湖を一望できるオープンテラスには洒落たカフェもあった。10年前までここが廃墟同然のモールだったことを微塵も感じさせない大復活劇だ。

ADVERTISEMENT

大手アパレルブランドの巨大な店舗も入る現在の様子(公式HPより)

この10年で何があった?

 果たして、ピエリ守山はどうやって廃墟から蘇ったのか。調べてみると、10年前は今とは別の会社が運営しており、当時の状況に詳しい人がいないという。“復活後”は知ることができても、“復活前”を知らなければ、成功までのプロセスを追いかけることができない。

 ならば、廃墟時代の運営会社を取材しようと思ったが、こちらもすぐに頓挫した。最初の運営会社は2010年に破綻。その後、ピエリ守山は数々の会社に売られ続け、どこの会社が復活劇をプロデュースしたのか分からなくなっていた。

 ブログにピエリ守山の廃墟の写真を投稿しているブロガーにも問い合わせてみた。しかし、10年前のブログ記事ということもあって、返事をもらうことはできなかった。

 万事休すか――。諦めかけていた時、知人から「10年前にピエリ守山のお店で働いていた人を知っている」という情報が入ってきた。しかも、その人物は開業した2008年から、最後の10店舗になった2013年まで店長クラスの主要な役職でテナントに勤めていたという。廃墟時代の当時の話と、今のピエリ守山を比較すれば、復活までのシナリオが見えてくるかもしれない。

華やかだったオープンから1年、少しずつ変化が…

「オープン当初は盛り上がりましたよ。どの施設もお客さんでいっぱいでした。正月には芸能人を呼んで大がかりなイベントもやっていました」

 そう話すのは、10年ほど前にピエリ守山のアパレル店で勤務していた鈴木さん(仮名)。現在、40代前半なので、働いていた頃は30歳前後ということになる。