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 当時のピエリ守山の運営者は、何も手を打たなかったのか。

「運営会社が変わる度に“立て直し組”という人たちがやってきて、『ピエリ守山は生まれ変わります!』『一緒に頑張りましょう!』と言ってくるんです。店舗から要望を聞いて、いろいろやり始めるんですが、またすぐに運営会社が変わって一からやり直しになる。結局、中途半端な状態がずっと続く感じになっていました」

 契約内容もころころと変わり、客足も減る一方だった。そんな運営会社に呆れて撤退する店舗も少なくなかった。

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「商業施設の魅力は出店する店舗で決まるんです。競合のイオンには有名ブランドのお店を引っ張ってくる力もあるし、自前のスーパーもある。映画館という強いコンテンツもあって、明らかにピエリ守山よりも魅力のある施設でした。ショッピングモールのプロ集団のイオンと、いい方は悪いですが“事業の片手間”でやっているような当時のピエリ守山では、オープン前から勝負が決まっていたんだと思います」

当時の様子(取材協力者提供)

2014年、全面閉店からリニューアルへ

 鈴木さんは本社から「自分の判断で閉店していい」という指示を受けていたこともあり、2013年にピエリ守山のお店を閉じた。その後、翌年の2月末にピエリ守山は全面閉店し、改装したのち、12月にリニューアルオープンした。

 当時のびわ湖大津経済新聞の記事によると、生まれ変わったピエリ守山は、従来の小規模のテナント200店舗体制から、海外ブランドの大型店を核に100店舗に絞り、後にフットサルコートやアスレチック、温浴施設を併設する計画を打ち立てた。「明るい廃墟」と呼ばれる過去を打ち消すかのように、リニューアルオープンの初日には4万3000人のお客が訪れた。

現在は温浴施設まででき、まさに“生まれ変わった”ピエリ守山(公式HPより)

「県内にない有名ブランドのお店を引っ張ることで、競合のイオンモール草津のお客以外の人を呼び込めたことが、リニューアルに成功した要因だと思います」

 鈴木さんの「商業施設の魅力は出店する店舗で決まる」という持論を、ピエリ守山が自ら証明した形となった。

全面総入れ替えの決断は、なかなか出来ない

 廃墟モールが復活した理由は、シンプルに「会社」と「商品」を総入れ替えしたという一言に尽きる。より運営力のある会社に切り替え、お客が呼べる人気店という“商品”に差し替えたことで、ピエリ守山は見事に復活した。