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 当時は個人に「華族」「士族」「平民」などの「族称」が付けられた。号外は続く。

 就縛の模様 加害(容疑)者は被害者の同居人で、捕まった当日は家で机にもたれて本を読んでいた。午前10時ごろ、突然2人の巡査が疑いがあるとして拘引を告げたが、全く驚いた表情もなく、片頬に笑みをふくませ、「ご用とあらば、どこへでもお供するが、着物を着替える間、しばらく待ってほしい」と泰然として騒ぐ様子はなかった。藍色の結城紬(高級絹織物)の袷(裏付きの着物)に同じ縞の下着を重ね、黒魚子(ななこ=絹織物の一種)三つ紋の羽織を着て、手に小豆色の提げ鞄を下げ、畳付きの新しい下駄を履いた。刑事4人に囲まれながら笑みをふくみつつ従って行った。

 

 加害者の容貌 松平紀義は中肉中背で頬からあごにかけての黒ひげは長く胸の間に垂れ、一見「三百代言」ともいうべき風体という。

松平紀義の肖像画(東京朝日)

「頻繁なけんか、その原因は金銭」

「三百代言」は「もぐりの代言人」から転じて「詭弁をもてあそぶ人間」という意味もあり、記事はそのニュアンスを込めているのだろう。記事は犯行に至る2人の言行に触れる。

 被害者、加害者不和の事実 2人は数年前から夫婦同様に暮らしていたが、その間の間柄はいたって不和だったようで、けんか口論が絶えることがなかった。2人とも酒飲みで、紀義は常に2~3合(360~540cc)、このは時として1升(1800cc)ぐらい飲むという。

 

 両人不和の原因 夫婦げんかが頻繁な原因はまず金銭にあるようで、このは前から300円(約146万円)余の貯金を持っていた。紀義はこの金を繰り回して高利貸しをしていたが、時々損をすることもあり、そのたびごとにこのから激しい小言を食い、果てはいつもけんかになるのが通例だったため、今回の事件も、きっとこうしたことから起こったものだろうという。

紀義とこのの家(時事新報)

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 報知の号外は事件当日と思われる日のことに進む。

 先月(4月)の末、またまた例のけんかが始まり、口論の声が高く外に聞こえるほどだった。近所の人も困っているうち、やがて紀義の声で「こんな物が食えるか」と言いながら、鍋に入れたままのアサリを外に投げ出したことがあった。その後、このはどこに行ったのか、家に姿が見えなくなった。近所の者が不審に思って紀義に聞くと「麻布の親族のところに行っている」と答えたという。