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「リーマン時代の宴会芸はトップシークレット」ジョージアからやってきた「世界一愛される駐日大使」“天才Twitterユーザー”ティムラズ・レジャバ閣下のすべて《独占インタビュー》

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――炎上のご経験はありませんか。

レジャバ 幸いありません(笑)。それは、誰かを傷つけるツイートはしない、と心がけているからだと思います。自分はバカだと思われても良いのですが、人を傷つけることは絶対にしないと決めています。自分で納得できない内容は投稿しませんし、不安な時は周囲に相談してから投稿しています。

 

4歳からずっと日本で暮らしてきた少年期、青年期

――それにしても日本人の感性の勘所を押さえた内容はお見事です。

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レジャバ 生物学者の父が広島大学に招かれたのを機に、4歳から20代の前半までずっと日本で暮らしてきました。学校も地方の公立学校に通っていましたから、一般の外国人に比べれば日本人の心性に理解があるんだと思います。

©️文藝春秋/細田忠

――ほとんど日本人だと思ってもいいものでしょうか。

レジャバ ところが、必ずしもそうではないんです。子供の頃から自分が日本人であるという感覚とはずっと無縁でした。日本の生活には順応していますが、まず見た目が違いますし、感覚も日本人とは違っているという自覚がありました。一方で、ジョージアの文化はいつも身近にありましたよ。ジョージアの料理は家庭でよく食べましたし、ジョージアからのお客さんを自宅に招くことも多かったですから。

「自分は何者なんだろう」ジョージアを強く意識した思春期

――ジョージア人というアイデンティティをはっきり意識したのはいつ頃でしょうか。

レジャバ ちょうど15〜16歳の思春期に『自分は何者なんだろう』と考えるようになりました。そこで、父親にお願いして1年だけジョージアの高校に通わせてもらったことがあるんです。その1年間でジョージアの文化や伝統、考え方を一気に吸収しました。そこでやっぱり自分はジョージア人なんだと思うようになりました。ジョージアと自分には切っても切れない特別な関係があることがよく分かりました。

 ジョージアは独自の文化や歴史が今も根強く残っている国ですから、アイデンティティにも強く訴えかけてきたのかもしれません。2008年にはロシアに侵攻されたこともありました。多感な時期に祖国への侵略という出来事を目撃したことも、ジョージアを強く意識する理由になったように思います。

©️文藝春秋/細田忠

――高校卒業後は日本の大学に進学し、日本の企業に就職されています。ジョージアに戻って就職という考えはなかったのでしょうか。

レジャバ ジョージアと日本、両方を知っていることが自分の強みだと思っていたので、それを活かしたいという気持ちがありました。日本の学校教育にはどっぷり浸かっていましたが、では日本の大人たちがかたちづくる日本社会というものはどんなものなんだろうという興味も強くありました。……と、格好良いことを言いましたが、正直な所、大学の友人たちがみんな就活を始めたので、それに感化されて私も焦って流されてしまったということもあります。これは、日本の大学生ならみなさんそうじゃありませんか?(笑)

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