「映画の観方がひと通りしかないなんてあるわけないじゃない。観る人間によって評価も感想も変わって当然です。観るほうの自由ですよ」
『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』や『パトレイバー』など数々の傑作アニメを生み出した押井守監督が語った「ダメな映画の観方」とは? 前代未聞の人生相談本『押井守の人生のツボ 2.0』(構成/インタビュアー:渡辺麻紀)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
◆◆◆
【Q:批評する者の資格とは?(ライター・50代・男性)】
映画ライターをやっています。少し前、ネットの映画批評コーナーで、『レディ・プレイヤー1』(2018)をつまらないと書いたのですが、読者から『E.T.』(1982)も観てないヤツに批評する資格なんてねえ! と叩かれてしまいました。作品を批評する場合、その監督の作品すべてを観ていないと批評できないんでしょうか?
そんなことがあってから、いろいろと考えすぎて本音で原稿が書けなくなってきた自分がいます。押井さんは、自分の作品を全部観ていないヤツに作品を批評されるのは不愉快ですか? ちなみに『E.T.』はお涙頂戴っぽいのであえて観てないだけです!
押井守「映画の観方はいろいろある。自分流を貫けばいいんです」
押井守(以下、押井):映画を批評するということには、さまざまな立場がある。何をテーマにして書くのか。監督についてなのか、あるいはその映画だけについてなのか。もし前者の場合は、可能な限りその監督の作品を観たほうがいい。書くことの幅も広がるし、判断の基準も増えるから。
でも、1本の作品についてだけ書くのなら、監督がその前に何を作っていようが関係ない。従って、この人の場合、スピルバーグではなく『レディ・プレイヤー1』についての評なのだから『E.T.』を観ている必要はない。
――こういうことはとても多いですよね。すぐに炎上したりする。私もそういうこと言われてますから(笑)。
押井:この手の難クセをつけたがる人間は了見が狭いんですよ。そういうヤツに限って、モノの見方がひと通りしかないと思い込んでいる。映画の観方がひと通りしかないなんてあるわけないじゃない。観る人間によって評価も感想も変わって当然です。観るほうの自由ですよ。
――むしろひと通りしかない映画のほうが問題だと思いますが。
押井:ひと通りしかない映画はクズに決まってます。いや、まだひと通りあるだけマシか(笑)。ネットに書きたがる連中はほぼみんな似たようなもの。自分は映画のことを判っていると思い込んでいるだけで、実はまったく判っていない。ものすごく貧しい観方をしている。みんながいいと言うから自分もいいと思うようになり、それ以外の意見を言う者を「映画が判ってない」と言ってバカにして叩く。そうすれば自分が正しいことの証明になると思っているんですよ。
いろんなことを言えるのが映画のいいところ。映画自体はダメだったけど、あのオバさんだけはかっこよかったとか。麻紀さんなら「ネコがかわいかったから許すとか」。いつもそんなこと言ってるじゃない。
――はい、そうです。
押井:戦争映画なんて、その典型ですよ。映画そのものはダメだけど、あの兵器だけは必見とかさ。こんなふうに戦車を撮った映画はこれまでにないとか。そういうところを言葉にすればいいんです。それで立派な映画評になる。
――じゃあ押井さん、自分の作品を全部観てないヤツに作品を評価されるのは不愉快ではない?