押井:もちろんです。そもそも麻紀さんだって、わたしの書いた小説は1冊も読んでないよね?
――いや、でも、映画は観てますよ!
押井:これだけ長い間付き合っているのに、なぜわたしの本を読まないの? 普通、どんなこと書いてあるのか興味がわかない?
――いや、エッセイは読んでます。それに、こうやって押井さんと話す機会が多いので、押井守という人間に対する好奇心は満たされているわけですよ。おそらく、書かれている本よりも、本人のほうが面白いのではないかと……。
押井:そんなの読んでみなきゃ判らないじゃないの! 本人は面白くないのに、書いた本はめちゃくちゃ面白いという場合もあるし、その逆もある。わたしに言わせれば、宮さんは作った映画より本人のほうが何倍も面白い。
「そんなことも判らないで、わたしの映画を好きだと言ってるわけ?」
――宮崎さんの場合、本人より押井さんの目を通して見た宮崎さんのほうが面白いんじゃないかと思っていますけどね。
いや、悩みはそれではなく、評論の問題です。たとえば押井さんは、ほかの押井作品は1本も観てない人が、『イノセンス』(2004)だけを観て、それについて語ることはどう思います?
押井:いいんじゃない。その映画についての評価なら問題ないですよ。でももし、わたしの映画を褒めるんだったら、世に言うわたしが量産したとされる、どうしようもない映画、安い実写映画を含めて全部褒めてみせろとは言いたい。要するに、褒めるためには理屈が必要になるから。押井守という監督を理解しないといけないからです。
――褒めるときだけですか? ボロクソに言うときは?
押井:ボロクソならその1本だけしか観てなくていいんです。でも、わたしという監督を語りたいのなら、です。
――じゃあ『アサルトガールズ』(2009)はダメだけど『パトレイバー2』(『機動警察パトレイバー2 the Movie』1993)は傑作だとか言うのはどうなんです?
押井:それは押井守という監督を理解していない証拠。「あんた、そんなことも判らないで、わたしの映画を好きだと言ってるわけ?」ですよ。監督の立場で言わせてもらえばですが。
――うーん、判りません。