この事件に野村被告が関与していることが疑われたことは、野村、田上両トップの摘発を狙う工藤会捜査にとっては大きな意味をもっていた。
その後、県警は現場近くの防犯カメラの映像解析などを重ねて、女性のあとをつけていた組員や、事件当時、現場周辺にいた人物を突き止めた。
やがて実行犯は逮捕される。
事件前の録音については、元警部銃撃事件の捜査のために通信傍受を実施していたものであるため、当初は看護師刺傷事件の証拠としては扱えなかったが、約1年後に証拠として利用できる許可が裁判所から出された。
こうした経過があって、この事件は結果的に、工藤会トップ裁判で扱われる2つめの事件になるのである。
立件する事件がひとつしかないか2つ以上あるかではまったく違ってくる。工藤会壊滅作戦では、野村被告を「可能な限り極刑、最低でも無期懲役に持ち込む」ことを至上命令に掲げていたからだ。死刑適用の基準として知られる「永山基準」を考えても、立件する事件がひとつだけでは刑が軽くなりやすいのは明らかだった。
「秋に、工藤会幹部を一斉にやるから」
「いけるぞ」
比較的早い段階で、天野、尾上両氏は工藤会捜査に確かな手応えを感じていたようだ。
だが、福岡地検の上位組織に当たる福岡高検は慎重な姿勢を崩さず、さらなる証拠固めを命じてきた。
そんなところで大きな動きがあった。
天野氏の昇任に伴う長崎地検検事正への異動である。
天野氏は当時の心境をこう振り返る。
「タイミングとして当然といえば当然の異動だったんだけど、工藤会捜査しか頭になかったから青天の霹へき靂れきだった。“断ればどうなるんやろ。検事正(への昇任)やしな”って2つの考えがぐるぐる回ってました」
悩ましい事情があったからといって異動を拒めるはずはなく、天野氏は小倉支部を去っている。2014年4月のことだ。
もちろん、それまでにやってきていたことを投げ出したわけではない。
置き土産として、工藤会捜査に携わっていた検察官らで組織した「工藤会捜査専従班」を小倉支部内に設置。尾上氏とのあいだでは、野村被告を未解決事件で摘発する際には、証拠が固い梶原氏の射殺事件に最初に着手し、次に看護師刺傷事件を立件するようにと申し合わせた。後任となる原島肇氏にも工藤会壊滅作戦の継続を依頼して、そこまでの成果を引き継いでいる。
記者が、福岡県警の捜査員から壊滅作戦を進めている話を直接聞かされたのは、天野氏が小倉を去った2014年春のことだった。
「秋に、工藤会幹部を一斉にやる(摘発する)から」
その捜査員は、自信ありげにそう言った。
工藤会の関与が疑われる凶悪事件のほぼすべてが未解決だった当時、にわかに信じられることではなかったというのが本当のところだ。
だが実際は、こちらの疑念に反して、梶原氏射殺事件と看護師刺傷事件をめぐる捜査は大詰めを迎えようとしていたのだ。
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