「日本最凶」と恐れられていた九州最大の暴力団、工藤会。2014年9月に4代目会長・野村悟が逮捕されてからは衰退の一途を辿っているものの、工藤会最盛期の北九州市は「修羅の国」と揶揄されるほど治安が悪化。一般市民さえも対象にした数々の襲撃事件を起こし、地域社会を恐怖で支配していた。

 ここでは、西日本新聞取材班が福岡県警による「工藤会壊滅作戦」の全貌を捉えた『落日の工藤会』(KADOKAWA)より一部を抜粋。当時、福岡地検小倉支部長だった天野和生氏と、県警北九州地区暴力団犯罪捜査課の課長だった尾上芳信氏が異例のタッグを組んで掴んだ、野村会長逮捕に王手をかける事件とは——。(全2回の2回目/前編を読む)

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過去に例が少ない、県警と検察のタッグ

 天野氏が福岡地検小倉支部長に就いたのは2013年春のことだった。

 凶悪事件が相次ぐ北九州市が管轄となったのだ。上司からは「血を流すポジションを用意した」と言われ、その元凶である工藤会を“審判”することが使命なのだと肝に銘じた。

 尾上氏が北九州地区暴力団犯罪捜査課長となったのも時期はそれほど変わらず、天野氏就任の1か月ほど前になる。

 それまでは殺人や強盗などの強行犯捜査を専門とする「捜査1課」畑を歩んできた。暴力団捜査の経験がほとんどなかったにもかかわらず、警察の威信をかけた工藤会捜査の責任者に抜擢される異例の人事だった。

©AFLO

 天野氏と尾上氏はともにイケイケの性格で、はたから見ればタイプが似ている。

 案の定、二人はすぐに意気投合したようだ。

 ただこの頃、県警と検察の関係は、決して良好なものとはいえなかった。

 未解決事件が積み重なっていたことで、互いに不信感をいだくようになっていたからだ。

 我々記者も、県警の捜査員からは「逮捕しても検察が食わない(起訴しない)」という不満を何度となく聞かされていた。一方で検察も、県警への不信感を募らせていた。捜査がなかなか進まない凶悪事件が積み重なってきていたこともあり、「県警は暴力団に関する情報を出さない」といった言葉を口にしていた。

 そんな状況にあって天野氏と尾上氏は、県警と地検小倉支部の「合同捜査会議」を毎月開催するようにして意思疎通を図った。

 最初の会議で二人は、2つの方向性を確認し合った。

 ひとつは未解決事件の捜査の徹底だ。尾上氏は、立件の可能性がある重要未解決事件を13件、リストアップしていた。

「目標はとにかくアタマの二人(野村、田上両被告)。石に齧りついてでも証拠を集める」

 天野氏は福岡地検にかけ合い、これら13件の未解決事件の捜査指揮をすべて地検小倉支部で取れる体制を整えた。

 もうひとつ確認したのは、小さな事件でも積極的に立件していき、組員を社会から隔離することで工藤会の勢力を削いでいくことだった。

「どんな事件でもいい。ひとつひとつ掘り起こして起訴していけば、流れが変わるかもしれない」

 わずかでも可能性があるなら、なんでもやっていく。そこまでの覚悟を決めていたからこそ踏み出すことができたのが工藤会壊滅作戦だったのだ。