「日本最凶」と恐れられていた九州最大の暴力団、工藤会。2014年9月に4代目会長・野村悟が逮捕されてからは衰退の一途を辿っているものの、工藤会最盛期の北九州市は「修羅の国」と揶揄されるほど治安が悪化。一般市民さえも対象にした数々の襲撃事件を起こし、地域社会を恐怖で支配していた。

 ここでは、西日本新聞取材班が福岡県警による「工藤会壊滅作戦」の全貌を捉えた『落日の工藤会』(KADOKAWA)より一部を抜粋。戦場レベルの危険と隣り合わせだった、当時の北九州市周辺の状況を紹介する。(全2回の1回目/続きを読む)

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高級クラブに投げ込まれた手榴弾

 溝下(編注:溝下秀男。3代目工藤会会長)の時代から北九州市や周辺では、暴力団の関与が疑われる市民襲撃事件が相次いでいたが、野村が実質トップに就任した2000年以降は残虐性が際立ってきた。

 なかでも衝撃が大きかったのが、2003年8月18日の夜に起きた「俱楽部ぼおるど」への手榴弾投げ込み事件だ。

 ぼおるどは、小倉でも指折りの高級クラブであり、その経営者は、地域の暴追リーダーとして知られていた。地元飲食店などでつくる「鍛冶町・堺町を明るくする会」の役員でもあり、組員の入店を決然と拒否していたのだ。

©AFLO

 この事件前にもぼおるどは、工藤会系の組員による嫌がらせを受けていた。前年には店の入り口付近に糞尿を撒かれた事件もあったほどだ。

 事件直前には「暴力団追放宣言の店」のステッカーを掲示していた周辺のスナックなど約40店舗のドアのカギ穴に瞬間接着剤が流し込まれる被害も続発していた。

 近くの飲食店オーナーは「こんなことばかり続いては小倉が怖いところというイメージが広がってしまう」と深刻な顔で話していたものだ。

 そんな中にあり、店への脅しに“戦場兵器”が使われたのだからショッキングだった。

 このとき、ホールでは20人ほどのホステスが待機していた。そこに突然、現れた男が手榴弾を投げつけてきたのだ。

 手榴弾は一人のホステスの頭に当たってから壁に跳ね返って爆発したのだという。

 彼女たちからすれば、何が起きたかもわからなかったはずだ。

 すさまじい爆音に、彼女たちの悲鳴が重なった。

 手榴弾の保管状態が悪かったのか、不完全爆発だったと、のちに判明している。そうでなかったなら大惨事になっていたにちがいない。

 爆発は彼女たちの間近で起きたのである。このときは死者こそ出なかったが、多くのホステスがひどい火傷やケガを負っている。

 すぐ近くのビルにいた男性は爆発のすさまじさを次のように表現した。

「ドーンと重機が突っ込むような音だった。地震のようにビルが揺れていました」