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「安倍元首相も被害者に」手榴弾が投げ込まれ、ロケット砲まで…九州最大の暴力団・工藤会の縄張りで起きた“戦場レベル”の衝撃事件

『落日の工藤会』より #1

genre : ニュース, 社会

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 そうした背景もあり、2000年以降は北九州市を中心に市民襲撃事件が相次いだ。

 そのうちのいくつかを挙げておきたい。

 いまなお取り上げられることが多いのは安倍晋三元首相宅への放火事件だろう。

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 2000年の事件なので、安倍氏は内閣総理大臣になる前で、内閣官房副長官という地位にあった。

 下関市長選挙に絡んで、安倍陣営から対立候補への選挙妨害を依頼されたという男が安倍元首相の地元秘書に対して成功報酬を要求したことが事件の端緒になっている。

 妨害依頼が実際にあったのかどうかは後年まで取り沙汰されることになるが、真実はわからない。このときは安倍陣営から被害届が出されて、男は恐喝容疑に問われた。そこでこの男は工藤会系の組長に報復を依頼したのだ。

 このときには安倍元首相の自宅の倉庫や後援会事務所などに火炎瓶が投擲(とうてき)された。自宅の倉庫は全焼し、乗用車3台が全半焼する被害が出ている。

 この組長は、結果として何の報酬も得られていないが、金目的でこの犯行に及んだものと見られている。

奥さんの目の前で繰り広げられた凶行

 暴力団追放運動に取り組んでいた人物に対する報復事件も多かった。

 安倍晋三元首相宅への放火事件と同じ2000年には、工藤会幹部のプレーを拒否した北九州市小倉南区のゴルフ場支配人の自宅に工藤会系組員が侵入して、左胸を刃物で刺して逃走した事件があった。

 支配人は、このとき受けた傷が原因となり翌年亡くなっている。

 ゴルフ場では、グリーンが破壊されてしまう事件なども起きていた。

 少し時間を飛ばせば、2010年には暴追運動に取り組んでいた北九州市小倉南区の自治総連合会長宅への発砲事件があった。

 翌2011年には建設会社役員(当時72歳)が射殺されている。

 もともと暴力団との付き合いはあった人物だが、業界として暴力団排除が徹底されるようになっていくと、暴力団関係者とは距離を置いて暴排運動に取り組むようになっていた。

 そうした状況に対する報復であり、見せしめだったと考えられている。

 この役員は、奥さんとともに車で帰宅したところだった。自宅前まで着いたときに後ろから追ってきていたのだろうバイクがその前に止まった。

 役員が助手席から降りると、バイクの後部座席に乗っていた男に銃で撃たれたのだ。

©AFLO

 銃弾は2発。

 首からの失血がひどくて1時間後に亡くなった。

 大相撲九州場所を観戦したあとのことだったという。奥さんの目の前で繰り広げられた残忍すぎる犯行だった。

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