鹿島海軍航空隊跡地の重要性を訴えた「プロジェクト茨城」
終戦後は、東京医科歯科大学霞ヶ浦分院に転用されたが、1997年に閉院。放置された跡地が、廃墟の状態となってしまった。
美浦村が国からこの敷地を譲り受けると、南側部分約半分は村営のメガソーラー発電所になった。旧海軍航空隊本庁舎など貴重な戦争遺跡が残る北側部分も、解体されてフットサル場を建設する計画が持ち上がっていた。
そんな時、声を上げたのが株式会社プロジェクト茨城だ。プロジェクト茨城は、茨城県笠間市にある筑波海軍航空隊記念館など複数の指定管理業務を受託し、映画や映像を通して街を活性化することに長けている。そんなプロジェクト茨城が鹿島海軍航空隊跡地の重要性を美浦村へ訴え、クラウドファンディングを立ち上げた。鹿島海軍航空隊跡地が末永く存続し、学びの場として観光拠点ともなるよう、一般公開することを目指した。
クラウドファンディングでは目標額の500万円を大きく上回る965万円が集まり、関心の高さがうかがえる。こうしてプロジェクトは大きく前進し、今日の見学会に至ったという訳だ。
大成功したクラウドファンディング 支援者向け見学会へ
見学会では、株式会社プロジェクト茨城代表の金澤大介さんが案内してくれた。
集合場所である自動車車庫跡から次の見学場所に向かう途中、草の中にローラーが転がっていた。学校等の運動場でよく見かける、整地するためのローラーだ。金澤さんによると、これは当時、滑走路までの誘導路等を整地していたものだという。敷地内にはどこに遺構が眠っているか分からない。これは気が抜けない見学会になりそうだ。
道路を渡った先に見えてきたのは、鉄筋コンクリート3階建ての立派な建物。
これは鹿島海軍航空隊本庁舎だった建物で、戦時中は迷彩色だったという。戦後、東京医科歯科大学霞ヶ浦分院に転用された際、現在のクリーム色になったそうだ。
早速、内部へと足を進める。電灯はつかないので、リュックから懐中電灯を取り出した。建物内は一部綺麗に整えられているが、割れたガラスや廃墟時代の落書きもそのままになっている。
階段の構造や、窓枠などの細部に当時の名残を感じる。