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誰も書かなかった「死の壁」をどう乗り越えるか

在宅死のリアル──長尾和宏医師インタビュー ♯2

2018/03/13
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多死時代の到来で「死に場所」がなくなる

鳥集 在宅医療の現状をうかがってみて、大きな問題だなと思うのは、これから多死時代を迎えることです。戦後のベビーブーム以降に生まれた方々がこれから後期高齢者となり、現在年間130万人ほどの死亡者が、2040年頃には160万人以上に膨れ上がると推計されています。「死に場所」として病院ですべて受け入れるのは不可能なので、国は在宅医療を推進しているわけです。しかし、そのレベルが長尾先生の指摘されるような有様だとしたら、私たちは安心して家で最期を迎えられないことになります。

長尾 そうなんです。国にはお金がなくて、これ以上社会保障費を増やせません。厚労省も財務省からの圧力を受けて、在宅医療推進と言っているのです。でも、医師なら誰もが、在宅での看取りを万全にできるわけではない。だから、ある程度標準化というか、誰でも在宅医になれるようなシステムを作っていかなきゃ駄目。たとえば、「長崎在宅Dr.ネット」というのがあるんですが……。

鳥集 白髭豊先生(白髭内科医院院長で認定NPO法人長崎在宅Dr.ネット副理事長兼事務局長)のところですね。僕も白髭先生の往診についていって、取材させていただきました。ここでは長崎市と近郊で在宅医療に取り組む診療所が連携し、複数の医師が担当して患者さんの在宅療養をサポートしています。そうすることで、大学病院などから在宅を希望する患者さんを、地域の医師の方々が無理なく引き受けられるようになっている。

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長尾 そうです。そういうシステムを各地域で作っていくようにしないといけない。だから、自分が住む地域ではどんな医療・介護のチームがあるのか、住民の方々も知っておくべきなんです。

鳥集 日本各地の地方議員や行政の方々にも、考えてもらわねばならないことですよね。多くの議員がいまだに「我が町に総合病院が足りなければ建てよう」みたいな考え方をしています。

長尾 そうですね。あちこちでやってます。

鳥集 だけど本当は、市や町のレベルの議員さんが、医療・介護の連携や在宅医療のレベルアップをめざして、「わが市は、安心して家で死ねる町を目指します」くらいの取り組みをすべきなのではないでしょうか。

長尾 ところが、それを言っても票にならないんですよ。住民はやっぱり箱物、病院が好きですから。医師不足の地域などでも、市民病院の存続か廃止かを争点に選挙をやったら、絶対存続派が勝ちます。でも、病院をつくっても赤字を垂れ流すだけです。

救急と警察との連携も必要

鳥集 赤字だけじゃなく、病院が多いために人手が分散してしまい、医師が疲弊しているわけじゃないですか。だから、箱モノをつくるより、診療所と訪問看護ステーションや訪問介護事業所、病院などが連携するシステムをつくる。そのために、関係者が顔を合わせる機会をつくっていくのが、地域の議員や行政の方々の役割だと思うんです。

地元の尼崎で在宅診療中の長尾医師 写真提供:長尾クリニック

長尾 国は地域の医療や福祉が連携して、病気や高齢の方を支える「地域包括ケア」を推進していますが、この言葉を知っている市民がどれだけいるでしょう。それだけでなく、実は地域包括ケアを実現するには、救急と警察との連携も不可欠です。なぜなら、在宅で平穏死しようと思ったら、患者さんが苦しみだしたときに、救急車を呼んではいけないからです。「DNR(Do Not Resuscitate)」と言って、終末期の患者さんが心肺停止したときに、無理な蘇生措置をしないよう事前に意思表示しておく仕組みがあるのですが、DNRをしておかないと救急搬送されて最期を病院で迎えたり、死んでいるとわかってるのに蘇生措置をされてしまいます。なぜなら、救急隊は蘇生措置をしないと警察に逮捕されてしまうからです。それに、救急隊が警察に連絡するので、警察が来て検視もされてしまいます。在宅で平穏死をするには、救急隊や警察の方々の理解も必要なんです。

鳥集 なるほど。

長尾 一般の方の中にも、家で死んだら警察沙汰になると思い込んでいる人がいます。ある方の話ですが、家で奥さんを看取って、1時間ほど泣いた後に顔を上げて、「先生、今から出頭します」って言うんですよ。その方は家で人が死んだら、警察に行かなきゃいけないと思い込んでいたんです。しかし、警察への届け出義務が生じるのは、医師が診察して異状死体であった時だけです。その場合は24時間以内に警察に届け出て、事件性の有無を調べてもらう必要がありますが、医師が定期的に診察しており、病気が死亡の原因と診断できれば、警察に届け出る必要はありません。その方、実はものすごく立派な経歴の方なんですが、家族が家で死んだら、それで華やかな人生のすべてがパーになると思っておられたそうなんです。

40年前まで日本人は普通に家で死んでいた

鳥集 そうなんですね。まだまだ多くの人が、病院で死ぬのが普通だと思い込んでいます。しかし、病院死のほうが増えたのは実はそんなに昔のことではなく、それまで日本ではほとんどの人が家で死んでいました。

長尾 在宅死より病院死のほうが多くなったのは、1976(昭和51)年です。病院死の世紀というのは、まだたった40年ほどなんです。

鳥集 でも、そのたった40年ほどで、人々の意識が「家じゃなくて病院で死ぬのが当たり前」に変えられてしまったということですよね。

長尾 そうです。医療者もそう。医師も看護師も「死ぬ時は病院」と思い込んでいる。僕のクリニックでは後期研修医の地域医療研修も引き受けているんですが、訪問診療に連れて行って、亡くなった方の看取りをした後、「どうだった?」って聞いたら、「先生、よく捕まりませんね」って。

鳥集 エーッ。研修医までそんなふうに思い込んでるんですか?

長尾 研修医ですよ。医者ですよ。