つぶらな瞳が表現する「狂気」
岸監督は稲垣さんについて、「演じるときは『十三人の刺客』のようにただならぬ狂気を発する方。今回の啓喜役はそれを隠してもらわないといけない役柄で、どう演じてくれるのかすごく楽しみでした。撮影が進んでいくと、“普通”の側の人の狂気みたいなものが欲しくなってきて、やはり稲垣さんなりの狂気が垣間見える瞬間がありました」とコメントを寄せている。
その“狂気”を感じさせる魅力的な装置が、黒目がちのつぶらな瞳だろう。検事の職業倫理に忠実に職務を全うする寺井は、日本社会において正義を担う存在であり、寺井もそれを疑わない。その真っ直ぐさが、稲垣さんの瞳により、かすかな狂気の気配を帯びる。
稲垣 自分としては、啓喜の気持ちの移り変わりを、言葉に出さずに繊細に演じることができれば、という意識で演じました。自分が正しいと信じていたものが、徐々に揺れ動いて、ぐらついてくる。
撮影は順撮りではないので、啓喜が変わっていく様相をグラデーションとして、そのパーセンテージを監督と確認しながら演じました。「今は50%くらいかな」「ここではもう70%ぐらい不安定になっちゃってるよね」と。
その模様の表現が肝になるシーンが多いからです。勝手ながら、この映画を観る人の大半が、まずは啓喜の目線で物語を追うと思ったので、観客とうまく同調できれば、という考えでした。
岸監督は、素材をとても多く撮られる方でした。1つのシーンを最初から最後まで、全方向からカメラを回して丁寧に撮っていきます。ほぼ全てのシーンを最低でも6回は繰り返しました。編集でどこがどのように使われるのかが全くわからないので、カメラに対する意識を取り払った演技ができました。
それは監督のスタイルとして面白かったですし、自分がカメラにどう映っているかを全く意識せずに臨めたので、完成した作品を見たら「こんな表情をしていたんだ」という発見もあって。
それはつまり、僕がコントロールした演技が全くないということなので、そういう意味ではダメなのですが(笑)。でも俳優なんて、自分が意図していない部分で良さが出たりするものだとは思います。
ただ、啓喜を形作る大きな要素は、検事という職業なので、ちょっとした鋭さや、イラつきなど、多様な色を見せたいという思いはありました。人間というのは一面性、二面性どころじゃなくて、いくつもの面があるし、人に言えない秘密があって当然ですよね。
そういった前提の中で、台本に書かれていない部分を膨らませたいなと思ったわけです。自分なりに、啓喜の内面を想像する中の、ひとつのワードとして“狂気”もあったのかもしれません。