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――急に敬語を使われたりしませんでしたか?

 敬語になった時期もありましたが、しばらくして戻りましたね。ただ、当時は私も浪人について積極的に話せるメンタルではなかったので、色々やりたいことがあってとだけ言ってました。

 ©佐藤亘/文藝春秋

「父から言われたひと言で少し気持ちが切り替えられました」

――そのまま大学4年間は悶々とした気持ちで過ごされたのでしょうか?

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 それが変わったんですよ。1年生の終わりに父と話をしていて、「浪人したことはマイナスになったんじゃないか。あんなに苦労して勉強したのに結果が出なかった」というようなことをポロッと言ったら、父から「それは苦労じゃない」と言われたんです。「浪人したくてもできない人もいっぱいいる。私はやりたいことを6回も挑戦できたんだから、それは苦労とは言わないよ」と言われたときに、ちょっと気持ちが軽くなったというか。6浪は自慢できることもでないけれど、少し気持ちが切り替えられた感じはありました。

 ©佐藤亘/文藝春秋

 また、そのタイミングで母が「神社で『ふく娘』という、神社のPRをするお仕事があるんだけどどう?」と進めてきてくれたんです。受けたら合格を頂けて、1年間の任期の中で福岡県内のメディアに神社のPRで訪れたり、正月三が日に鈴はらいや福引のアナウンスをしたりとすごく楽しかったんですよ。そこから自分でも色々アルバイトをしてみたくなって、「宝くじの女神」というキャンペーンに応募したら合格して。大学とは別の世界が広がって、この2つのお仕事がアナウンサーになるきっかけになりました。

――周囲の反応はいかがでしたか?

 「ふく娘」では参拝にこられた方に「あなたの笑顔を見たら元気になるわ」と仰って頂けて、誰かに元気が与えられる仕事っていいなと漠然と思いました。「宝くじの幸運女神」では、朝あるテレビ番組で宝くじのPRをして、「午後からどこどこの銀行の店舗でティッシュ配りをします!」とお伝えしたら、放送を見て店舗に足を運んでくださった方がいたんです。自分が発した言葉が誰かの行動のきっかけになるのはすごくやりがいがあるなと感じました。