一郎の言葉である。
「この年になるまでギャンブルから離れることができませんでした。各地を回って民家や店に入って盗みをして生きてきたので、職に就いたことがありません。金がない時は、ホームレスみたいに公園で野宿をして過ごしていました。
こんな生活をしてきたので、昔から親しくしている友人もいませんし、結婚したこともありません。話をする相手は、サウナや競輪場なんかで出会う人です。何度も顔を合わせているうちに言葉を交わすようになって、一緒にお酒を飲みに行ったり、パチンコに行ったりするんです」
「全部ギャンブルのせいですよ」
30年以上の刑務所生活については、次のように語る。
「ちゃんと生きていこうと思ったことはありますよ。でも、僕の意志が弱かったんでしょうね、うまくいきませんでした。ギャンブルから離れられなかったんです。全部ギャンブルのせいですよ」
頭の中がギャンブルでいっぱいだったので、働こうという意思が生まれなかったらしい。さらに、十代から刑務所生活がつづいていたので、それに対する抵抗感がなくなっていたという。そのことが長きにわたる刑務所生活につながったのである。
将来的に一郎はどうしたいと思っているのか。彼は次のように答えた。
「次にここを出る時は、70歳くらいになっています。生活保護を受けてNPOが運営している施設に入ろうかなと思っています。施設に入っていろんな人に支えてもらえば、ギャンブルも窃盗もしなくなるかもしれません」
彼は前回逮捕された時もまったく同じことを語っていたらしい。いったんはNPOに身を寄せたものの、また窃盗で逮捕されて懲役刑を受けたのだ。それを聞く限り、更生の道はほど遠いだろう。
鳥取刑務所で篤弘と一郎へのインタビューを終えた後、私は何とも言えない複雑な気持ちになった。2人の人生をいくら聞いても、そこに反省の気持ちも見られなければ、更生への意思も感じられない。当たり前のように犯罪をし、刑務所に入るという生活を送っているだけなのだ。