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「両澤は直接的な表現をせずに何かを伝えようとするんですよ。キラとアスランが再会するシーンでもほとんどセリフがなくて『君…の?』『大事な友達にもらった、大事なものなんだ』(『SEED』PHASE-28「キラ」)で終わらせる。この辺は彼女のシナリオっぽい。度胸ありますよね。あと『親友』っていう言葉は絶対に使わないんですよ。『親友ってどういう友達かよくわからない』と言っていました。

TVシリーズでは誰よりも悩んでいたアスラン・ザラ ©創通・サンライズ

  他にも『DESTINY』でヒロインのラクスが自分の影武者的なことをしているミーアに対して『同じ顔の人』『同じ声の人』『私とは違う人です』という言い方をして、『偽物』とは絶対言いません。

  アスランとラクスが対峙したとき(『DESTINY』PHASE-29「FATES」)も、ラクスがアスランに向かって『敵だというのなら私を撃ちますか? ザフトのアスラン・ザラ』と言う。“ザフトの”というのが付くんですね。その一言だけで、アスランが何に囚われているのかが伝わるんですよね。

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  あとは、意地悪だなぁって思うこともあるんですよ(笑)。自分がキラを殺害してしまったと思いこんでいるアスランにラクスは、『キラは地球です。お話をされたらいかがですか? お友達とも』(『SEED』PHASE-36「正義の名のもとに」)と、わざわざ“お友達”なんて言い方をする。そういうところですね」

  直接的ではなく、ツイストの効いたセリフによってより印象的にキャラクターの心情が伝わってくる。そうした“両澤節”が「SEEDシリーズ」の魅力を作っている部分があるのではと聞くと、福田監督は「8割方そうですよ」と笑う。

©文藝春秋 撮影・佐藤亘

「やっぱりあれは僕には書けないんだなと痛感しました」

「映画というのはある種のお祭りであって、変なフラストレーションを残したまま劇場をあとにしてもらうわけにはいかないんですよね。テレビとはそこは全然違います。2時間という尺のなか、劇場にきてくれた観客の時間を拘束し、大勢でひとつの物語を観て、みんなで共有できるような感情がそこにないといけない。笑いもなくちゃいけないし、泣きもなきゃいけないし、怒りもなきゃいけない。喜怒哀楽の全部の感情が出てくるのが映画の醍醐味ですよね。そういう物語を作らなければいけない」

 そしてこう続ける。

「今回自分で脚本を書いてみて、やっぱりあれは僕には書けないんだなと痛感しました。セリフ1つ1つのニュアンスで、お芝居の感じや作品に与える空気が、全然違っちゃうんだな、っていうのはすごく実感してます。声優の方々が寄せてくれてはいるんですけど、それでも本質的に僕の脚本と彼女の脚本は違うなと思わざるを得ませんでしたね」