それでも、「ラスト サムライ」は映画批評サイト「RottenTomatoes」で66%と、批評家からもまあまあ良い評価を得た。それは「SHOGUN 将軍」の企画を少なからず後押ししたはずだ。70年代半ばに出版されたジェームズ・クラヴェルが書いた原作小説「将軍」はベストセラーだし、リチャード・チェンバレン、島田陽子らが出演した1980年のテレビ化作品「将軍 SHOGUN」もヒットだった。そんなふうに元々価値のあるIPだったところへ、「ラスト サムライ」が、このような舞台設定の作品が広く受け入れられることを証明したのだ。
「将軍」をフォックスチャンネルとグループ会社のFXが再度テレビ化する企画が発表されたのは、2013年。だが、浅野は、その前に権利を持っていたスタジオからも話を持ちかけられていたと語っている。つまり、「ラスト サムライ」から数年しか経たない頃に、動きがあったということである。
プロデューサー・真田広之が作り上げた時代劇
しかし、実際には長い時間がかかってしまった。その間、時代は変わり、スタジオのトップも、白人の視点だけでなく、日本人のキャラクターや日本の文化をもっとしっかり見せていくほうがいいのではないかと思うようになる。そんな中、撮影開始直前までこぎつけたこのプロジェクトは、急遽中止に。ショーランナー(テレビドラマ制作におけるリーダー)と脚本家として、新たにジャスティン・マークスと妻レイチェル・コンドウが雇われ、仕切り直しが行われた。
主演だけを務めるはずだった真田に「プロデューサーもやってくれないか」と声をかけてきたのは、マークスだ。「ラスト サムライ」でも日本の描写に関して意見を言い、「もし良ければ」とエドワード・ズウィック監督にオファーされて宿泊費を自腹で出してまでポストプロダクションにかかわった真田は、「喜んで」と答えた。
そして真田は、日本からあらゆる専門家を呼び寄せ、日本人が見ても納得する日本の時代劇を作り上げたのである。セリフの7 割は日本語で、日本語を話せない視聴者にとってその部分は字幕となるが、そこにおいても、予定より時間がかかったことが逆に功を奏したといえるだろう。
そう遠くない昔、アメリカ人は字幕が大嫌いと信じられていたが、最近では「イカゲーム」をはじめ外国のドラマがヒットし、必ずしもそうではないと証明されてきた。それは、「SHOGUN 将軍」の製作者たちに自信を与えたはずだ(ただし、ポルトガル人同士が話すシーンでは彼らの会話は英語。そこまではとても手が回らなかったと、コンドウは語っている)。
また、有名スターが出ることがヒットの条件だった「ラスト サムライ」の頃と違い、近年の観客は、誰が出ているかではなく、コンセプトで観る作品を選ぶようになった。優れた演技力を持ちつつ、欧米の一般視聴者にあまり馴染みがなかったキャストが揃う「SHOGUN 将軍」は、むしろよりすんなりと観る人をドラマの世界に引き込んだと思われる。