“海浜”とはいうだけあって…完全に海の上だった約50年前
ともあれ、ここまで歩いてきてわかるように、海浜幕張の駅と町は徹底的なまでに人工的だ。人工的だから、オフィスやメッセ、マリンスタジアムや商業施設があるエリアと住宅地がうまく棲み分けられていて、それぞれの動線もうまく作られている。
歩きやすいし、迷いにくい。そうした町は、人工的だからできたものといっていい。そして、海浜幕張の駅前はそうしたあらゆる層の人々が集まって活気をもたらしているのである。
そもそも、日本の町のほとんどは江戸時代以来の古い町を何らかの形で受け継いでいる。震災や空襲など、町そのものを作り替える機会は幾度もあったにせよ、まったく人工的に手がけられたという町は少数派。
人々が出ては入ってを繰り返し、その自然な営みの中で作られてきたのが、日本の町だ。もちろん歴史を辿れば、どこかで人工的な開発の手が加わってはいるが、それはここ数十年というレベルの話ではない。
その点、幕張副都心はまったく違っている。幕張副都心が生まれたのは、さかのぼってもせいぜい1970年代のこと。それ以前、海浜幕張駅を中心とする一帯は、完全なる海の上であった。
「幕張の海岸線大移動」がおきる前、このあたりは…
埋立がはじまるまで、幕張の海岸線はいまよりもずっとずっと内陸にあった。具体的に言えば、海浜幕張駅から内陸に向かって歩いて30分ほど。国道14号の少し北辺りだ。
総武線の幕張駅や京成千葉線の京成幕張駅の周辺。そこが本来の幕張、というわけだ。古くからノリの養殖をはじめとする漁業が盛んで、江戸時代には青木昆陽がサツマイモの試験栽培を行った場所でもある。つまりは半農半漁の町……というよりは村だった。
そうした特徴は近代に入ってもそれほど変わることがなかった。沖合の埋立がはじまったのは、1970年前後のことだ。東京一極集中を是正して、業務中枢機能を持たせる副都心建設という名目が、埋立事業の背景のひとつにあるという。この頃から東京への一極集中は国家的な課題で、結局半世紀経ったいまもまったく是正されるどころか加速するばかり、なのだ。
それはともかく、70年代にはじまった埋め立て工事は着々と進み、80年代半ばになると徐々に町がその姿を見せ始める。はじめは住宅地の一部や教育機関が生まれ、1986年には京葉線の海浜幕張駅も開業している。