美月は、映画とテレビが大好きな君江と物語の楽しさを分かち合うのが何よりも楽しみで、君江に連れられて行く「大京映画撮影所」が心の拠り所となっていた。両親に先立たれ身寄りのない君江と、3人の“親”の板挟みでアイデンティティクライシスになりつつある美月。ふたりにとって「物語」こそが、誰にも邪魔されることのない自分だけの居場所だった。しかし君江は、美月を撮影所に連れて行くことを滝乃に咎められ続けた末に、滝乃から解雇を言い渡される。
君江の熊本への里帰りに同行するかたちで、美月は家出を敢行する。熊本でのふたりの別れ際、祭の夜、君江が美月に言った「美月ちゃん、あんた、映画作りや」という言葉とともに、本作の「少女編」が終わる。そしてこの君江の言葉が美月の道標となる。
主人公が、何人たりとも不可侵である「自分の心のありか」を物語に求め、物語によって救われる。ソウルメイトの言葉が道標となる。やがて主人公は、物語を作る人になる。この3大要素は、『光る君へ』にも通じている気がしてならない。
ブレイク前の佐々木蔵之介と堺雅人、個性的な俳優陣
「少女編」が終わり、美月が本役の岡本綾にバトンタッチされてから、物語は「時代劇編」へと移る。昭和47年、美月は大京映画の大部屋女優となるが、折しも時代は映画の斜陽期。主要メディアがテレビに移行しようというとき、時代劇に人生を賭ける者たち――大京映画社長・黒田(國村隼)、スター俳優・幹幸太郎(佐々木蔵之介)、若手監督・杉本(堺雅人)ら、それぞれの矜持が描かれる。ブレイク前の佐々木蔵之介と堺雅人の、この頃から既に「仕上がっていた」演技と唯一無二の存在感を堪能できるのも一興だ。
また、美月が初めて恋をする相手で、大部屋出身の切られ役・錠島、通称ジョー(長嶋一茂)の、なんとも言えない、「ぬっ」とした存在感。彼の、“体幹が真っ直ぐすぎてしなやかさに欠ける”演技と台詞回しにも触れないわけにはいかない。本来なら「キュン」となるはずの美月とのシーンで、ジョーが無骨にオウム返しをするくだりなどは、新たな笑いの境地へといざなってくれる。
なかでも、女性に不誠実なジョーが、彼に色仕掛けを試みて失敗した大部屋女優の樹里(井元由香)の怒りを買って頭にうどんを被り、その後なぜかうどん2本を頭の上に乗せて川を泳ぐシーンは、朝ドラ史に残る名(?)場面と言えるだろう。