X医師が“都合のいい麻酔医”だった理由
実は、M元教授のパワハラも院内で問題になっており、A大学はM元教授の部下だった男性医師から訴訟を起こされ敗訴している。医療技術の伝承ではなく、師弟間でパワハラのDNAが受け継がれたと言っても過言ではない。
では、切腹カイザーの執刀をした産婦人科医や他の手術を担当した外科医がパワハラに怯えていたのかというとそうではない。X医師は、彼らにとって“なくてはならない存在”でもあった。
「A大学のある地域では麻酔科医師不足により『自家麻酔』と言われる外科医による麻酔がいまだに多く行われており、外科医たちは、麻酔科専門医師が麻酔をかけてくれるだけでも良しとしていました。また、状況に応じたさまざまなバリエーションの麻酔を当該地域、特にA大学の外科医はあまり見たことがないようで、X医師の行う麻酔が標準的だと思い込んでいました」(仲田医師)
それだけではない。X医師は、外科医がどんな無理を言っても引き受けてくれる“都合のいい麻酔医”としても重宝されていた。
「X医師は症例の重症度、緊急性、当日の手術室全体の運営を検討することなく、医療安全をまったく度外視して外科医の言いなりに症例を引き受けていました」(仲田医師)
こうした証言から、A大学では、執刀医が麻酔医のゴーサインを待たずに執刀することが常態化していた可能性を否定できない。
切腹カイザーについて専門家の見解は…
A大学における切腹カイザーは、主に超緊急帝王切開の時に行われたという。このような処置は、産科医療の現場では一般的に行われているのだろうか。産科麻酔に詳しい白石衛医師(仮名)に解説してもらった。
「脊髄くも膜下麻酔は、硬膜とくも膜が重なり合っている、そのさらに奥に針を進めて脳脊髄液中に局所麻酔薬を注入する。髄液があるところまで針が進んだかどうかは、針の内側の芯を抜いてみると、髄液が針の中を逆流してくるので分かる。1回で成功することもあるが、針の向きを変えたり、針を刺す場所を変えたりする必要があることもしばしばだ。
局所麻酔薬を注入した後、麻酔効果が胸のあたりまで及ぶと、手術中の痛みを取り除くことができる。効果が出始めるまでには5分から10分かかり、麻酔がしっかり広がるまでに30分くらいかかる」