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新幹線計画は頓挫した一方、町はどんどんできていき…

 結局成田新幹線は頓挫するのだが、千葉ニュータウン計画は着々と進む。1966年に計画が定まり、1980年前後に白井エリアから入居がスタート。だんだんと東へと拡大してゆき、1984年には千葉ニュータウン中央付近の入居が開始、1995年になって印西牧の原一帯も街開きを行っている。

 北総鉄道北総線は、この千葉ニュータウン計画に伴って誕生した鉄道路線だ。成田新幹線のための用地を転用する形で建設され、ニュータウンの拡大に歩調を合わせて東へと延伸していった。

 

 終着駅として印西牧の原駅が開業したのは、街開きと同じ1995年のことである。そして、2000年に北総線が印旛日本医大駅まで延伸すると、途中駅になった(なお、2010年には線路をさらに空港まで伸ばし、京成スカイライナーが運行を開始している)。

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 こうして生まれた印西牧の原の町。90年代後半、つまり街開き当初に開かれたのは牧の原公園の東側の滝野地区、また駅から見て南西の西の原地区だ。この頃に駅の南側を通る県道190号も整備され、戸建て住宅を中心に造成が進んでいった。

 県道190号は、90年代からのニュータウンとそれ以前からの“開拓”の町との境目になっていて、その南側はまだまだ田畑が目立つ。「草深」と呼ばれる一帯で、ニュータウン以前の印西牧の原とはこういう場所だったのだということを教えてくれているといっていい。

 

 滝野地区も西の原地区も、いまでも実によくできたニュータウン。できてから20年ちょっとしか経っていないのだからあたりまえなのだが、町を歩いていると学校帰りに公園で遊んでいる小学生たちの姿があったりして、なんとも微笑ましいニュータウンの風景を見かけることができた。